松山市から今治市へは瀬戸内海の美しい景色を眺めながら、ひたすら北上していきます。今治市に入って最初の街・菊間は、瓦屋さんが立ち並び、お大師さまゆかりの「遍照院」と「青木地蔵」がありました。
内宮の車通行止「遍路橋」をすり抜けて、海岸線を「粟井」まで
53番札所円明寺で松山市の札所を打ち終えて、次の目的地は今治市です。
円明寺から東方向に進んでJRの線路踏切を渡り、少し進んだ先に「遍路橋」がありますが、そこで数時間前に通過してきた三津浜手前の遍路道での出来事がよみがえる嫌な看板を発見してしまいました。
※「三津浜」の様子は、以下リンクの記事もぜひご覧ください。
【日の出】港町のソウルフード「三津浜焼き」は焼きそばのクレープ包み?
しばらく進んで県道347号に出ると、そこは海が間近の「海岸道路」です。
この日は、円明寺から7kmほど歩いたところで日没サスペンデッドです。
海岸線の遍路道はJR線が並行して走っているので、私はJR粟井(あわい)駅から宿を確保していた松山市街に電車で戻りました。
円明寺から約30km先の今治市街に入っていくまでは、都合のよい宿が少ないエリアですので、私がしたように松山市街から電車での通いにするのもよいと思います。
「鎌大師」の峠を越えて今治市突入
翌日はJRで粟井駅に移動してきて歩行再開です。
伊予北条(いよほうじょう)から遍路道標に従って進んでいくと、ずっと海沿いを歩くものだと思っていたことを見事に裏切ってくれるわかりやすい峠が立ちはだかりました。
上の写真の分岐を脇道方向に進むとすぐの右手に、お大師さまゆかりの「鎌大師」があります。
私は峠の上の方に鎌大師があると勘違いしていたので見逃してしまったのですが、平安時代に空海が四国巡錫中にこの地で泣きながら鎌で草を刈っている少年と出会い、姉が疫病で瀕死だったそうで、空海は少年の鎌で木片に自分の像を刻み祈るように伝え、村人が祈ったところ病が癒えたという伝説が残っています。
鎌大師には境内に遍路小屋があり、休憩に立ち寄る歩き遍路さんが多いですし、宿泊可能な通夜堂も提供してくださっているようです。
北条出身の早坂暁(はやさかあきら)脚本のNHKドラマ「花へんろ」の舞台となったことでも有名です。
【「鎌大師」 地図】
「鎌大師」の先の峠を越えて、住宅街を海岸に向かって下っていく道では、これまた恒例のわんちゃんとの遭遇です。
坂を下りきると「浅海(あさなみ)」の集落に出て、再び海の美しい景色が広がり、松山市をあとにし今治市に突入です。
瓦の街「菊間」の「遍照院」
今治市に入って4kmほど進むと「菊間(きくま)」地域があり、通っているだけで特産品がわかりやすすぎる街でした。
瓦屋密集通りを通過してすぐのところに、「厄除け大師」として有名な四国八十八箇所番外札所・新四国曼荼羅霊場第42番札所遍照院(へんじょういん)があります。
空海が四国巡錫中に、当地の峰に霊感を受けて聖観音を刻み寺院を建立し、自らの像も刻んで厄除仏として安置したのが起源といわれています。
また一説によれば空海がこの寺に訪れた際、寺の和尚様が寝ていたため、四国遍路の寺に数えられなかったという説があるそうです。
【「遍照院」 地図】
通夜堂がある「青木地蔵」
遍照院から3kmほど進むと海沿いに巨大なコンビナートがあり、これは「太陽石油」の製油所です。
ここから、遍路道標に従って旧道に入ったところに、これまた番外霊場「青木地蔵」があります。
空海が四国巡錫中にこの地にも立ち寄り、村人に説教して地蔵菩薩像を安置し、それを記念して村人が青木を植えたことから「青木地蔵」と呼ばれるようになったそうです。
また、空海が訪れた際にこのあたり一帯は大日照りで、飲み水の不足で困っていた村人のために祈祷し杖で突いたところを掘ると清水が湧き出て、その後枯れることがなかったそうで、「御加持水」として重宝されています。
この御加持水を飲むと病気がよく治るといわれており、特に腰から下の怪我や病気にご利益があるようで、ぞうり・松葉杖・杖・とれたギプスなどを献納する人もいるとのこと。
そして青木地蔵には、歩き野宿遍路さんにありがたい、宿泊可能な「通夜堂」があります。
ネットで調べてみると隠れキリシタンの弾圧が行われた影響で幽霊が出るなんて噂もあるようですが、私はそんな気配はまったく感じることなく、たどり着いたのが昼間だったので撮影だけさせていただき通過しました。
青木地蔵から次の札所「延命寺」まではまだ10km以上あるので、休憩しながらぼちぼち進んでいきます。
【「青木地蔵」 地図】
松山市と今治市の境には、番外霊場が複数あり、お大師さまの足跡を感じることができると同時に、ありがたい休憩所・宿泊所としても使わせていただけますので、立ち寄りながらゆっくり進んでいきたい道のりです。
菊間の瓦は必見ですので、お見逃しのなきように。