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遍路道

街道と遍路道の分岐点に立っていたと考えられる標石【10番札所「切幡寺」→11番札所「藤井寺」】

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かつて遍路道と伊予街道が合流する地点に立っていた標石【10番札所「切幡寺」→11番札所「藤井寺」】

第11番藤井寺を目指す道中。伊予街道を越えて寺へ向かっていると左から合流する路地の角に標石が立っていますが、まず目に入る面が無記載になっています。これにはどのような事情があるのでしょうか。   あなたにおすすめ
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かつての箸蔵街道沿いに残されている中務茂兵衛標石【別格15番札所「箸蔵寺」参道】

八十八ヶ所参りとしては少々不便な場所ですが、昔から多くのお遍路さんが訪れていた番外霊場・箸蔵寺。巡礼者はいくつかのルートを選択して寺を訪れていました。寺院がある山へ続く道沿いに標石が残されています。
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標石が建てられた時代、首都は広島に置かれていた【72番札所「曼荼羅寺」→73番札所「出釈迦寺」】

背後に我拝師山(がはいしざん)を臨む坂道、第72・73番を行き来する道の途中に、中務茂兵衛標石が残されています。
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さとうきび畑が広がる街に残された中務茂兵衛標石【5番札所「地蔵寺」→6番札所「安楽寺」】

徳島県における和三盆糖の産地・上板町。さとうきび畑や製糖工場を見ることができる同町の遍路道沿いに、中務茂兵衛の標石が残されています。
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傷ついた標石は中務茂兵衛50歳の時に建立したもの【10番札所「切幡寺」→11番札所「藤井寺」】

第10番切幡寺を下山して四国三郎・吉野川へ向かう道中。川の土手はもうすぐ近くというところに、少し傷ついた中務茂兵衛標石が残されています。
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淀川河川改修時期にそこで暮らしていた方々が寄進した標石【40番札所「観自在寺」→41番札所「龍光寺」】

愛媛県最初の札所・第40番観自在寺から次の第41番龍光寺へは距離約48kmと、八十八ヶ所の中でも長い道のり。その札所間の終盤、三間盆地へ向かって県道57号を登る道中に中務茂兵衛標石が残されています。
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建立月日まで記されている、道引大師前の標石【42番札所「仏木寺」→43番札所「明石寺」】

第42番仏木寺から遍路ころがし・歯長峠を越えて第43番明石寺へ行く道中、番外霊場の道引大師堂前に中務茂兵衛標石が残されています。建立月日まで記されている珍しい標石で、この地域との不思議なご縁を感じるエピソードもあります。
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かつての港町の賑わいを想像することができるやや大きな標石【88番札所「大窪寺」→3番札所「金泉寺」】

第88番大窪寺、それから奥の院與田寺と来て徳島県へ向かうお遍路さんが通るこの場所は、かつて風待ち潮待ちを行う船の入出港で賑わった引田。港町であり県境の街でもあるその街への入口に、中務茂兵衛の標石が残されています。
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四万十川最後の渡しは今も細々続いているようです【37番札所「岩本寺」→38番札所「金剛福寺」】

人は川や海の上を歩くことはできません。昔の四国遍路は、四国各所の水辺で渡し舟を利用していました。四国第二の大河・四万十川(渡川)を渡る際も同様。四万十川で最後まで残った河口の渡し舟は、かつてお遍路さんも利用していました。
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