中務茂兵衛の標石

中務茂兵衛(なかつかさもへえ)は、幕末の弘化2年(1845)、周防國(現在の山口県周防大島町)の大地主の家に生まれた人物。22歳の頃に周防大島を出奔したのちは一度も故郷に帰ることなく四国八十八ヶ所霊場を巡拝し続け、交通機関の乏しい時代のなか279巡と87ヶ所回った偉業の持ち主です。
その茂兵衛が42歳頃から亡くなる直前の73歳頃にかけて、遍路道沿いに建立したのが「標石」。明治から大正にかけて建てられた標石は現在確認されているだけでも243基あり、茂兵衛の巡拝回数とともに寺社名や地名などが記されているので、札所の変遷やその時代背景、地域情報まで読み取ることができる貴重な資料となっています。

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