23番札所薬王寺では、本堂に上がっていく石段になぜか一円玉を落としていく人達がいて困惑しましたが、あとから調べると厄除祈願の作法のひとつでした。厄坂を登りきった先の「瑜祇塔」からは海岸の絶景を望むことができます。
海岸遍路道から見えていた「瑜祇塔(ゆぎとう)」
22番札所平等寺から23番札所薬王寺には、旧国道55号方面の星越峠を越えていく山ルートと、県道25号で由岐峠を越えて海岸に出るルートの2ルートの選択になり、私は海岸ルートを歩きました。
大浜海岸や日和佐市街の「厄除け橋」から、薬王寺の大きな「瑜祇塔」が見えていて、遠くから札所の姿を確認できたのは薬王寺が初めてだったので、なかなか豪勢なお寺なのかなと感じながらたどり着きました。
※薬王寺への遍路道に関しては、以下記事もぜひご覧ください。
【22番札所平等寺→23番札所薬王寺】海岸ルートで大浜海岸「厄除橋」から薬王寺を眺める
このとても目立つ「瑜祇塔」は「ゆぎとう」と読みますが、正式名称は「金剛峰楼閣瑜祇塔(こんごうぶろうかくゆぎとう)」で、密教の根本である金剛界と胎蔵の二部は本来同一のものであるという精神を説いた「金剛峰楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくゆぎきょう)」に基づいて建立されているそうです。
他の札所でもいろいろな形の多宝塔がありますが、この瑜祇塔が原型になっているとのことで、一重の屋根と円筒形の厨子、そして屋根の上にそびえる五本の相輪が特徴です。薬王寺の瑜祇塔は高さ29mの立派なものです。
また、薬王寺から厄除橋を見下ろし、「日和佐城」と「日和佐湾」を眺める景色もなかなかの見ものです。
厄除けで全国的に有名な「薬王寺」
薬王寺は厄除けで全国的に有名なお寺で、お遍路さんだけではなく、多くの参拝客や観光客でにぎわっていました。ここまで徳島の札所をまわってきましたが、これほど人がたくさんいるお寺は初めてでした。
このお寺でびっくりしたのが、本堂に上がる石段に1段ずつ1円玉を置いていく人達がいたことです。
この光景を見たときは知らなかったのですが、この石段は「女厄坂」といわれる33段、続く急勾配の石段「男厄坂」が42段で、さらに本堂から瑜祇塔までは男女の「還暦厄坂」と呼ばれる61段とされているそうで、各石段の下には「薬師本願経」の経文が書かれた小石が埋め込まれていて、1段ずつお賽銭をあげているらしいのです。
1円玉があまりにたくさんあったので、どのように対処していいのかわかりませんでした。
薬王寺の縁起によると、弘仁6年(815年)弘法大師空海が42歳のとき自分と衆生の厄除けを祈願して一刀三礼し、厄除薬師如来坐像を彫造して本尊とされ、厄除けの根本祈願寺としたという厄除けの由緒正しきお寺です。
文治4年(1188年)に火災で諸堂を焼失した際、厄除け本尊は、光を放ちながら飛び去り、奥の院・玉厨子山に自ら避難し、のちに嵯峨天皇が伽藍を再建して新しい薬師如来像を開眼供養すると、避難していた本尊が再び光を放って戻り、後ろ向きに厨子に入られたという伝説があり、以後「後ろ向き薬師」として秘仏にされてことも、厄除けにご利益があるとされる一因のようです。
阿波の國「発心の道場」の最後を飾るのにふさわしい立派なお寺でした。
おまけの自動給水式手水舎竹筒バージョン
最後におまけですが、他の札所でも珍しい形の手水舎に着目してきましたが(8番札所熊谷寺、10番札所切幡寺、14番札所常楽寺の記事もぜひご覧ください)、薬王寺の手水舎も注目です。
ここもセンサー式の自動給水式ですが、竹筒から上方向に水が吹き上がる、他では見かけなかった形です。
どうでもいいことですが、札所によって手水舎の形は様々なので、私は着目して楽しんでいました。
ということで、23番薬王寺にて阿波の札所打ち終わりになります。
歩き初めの慣れない中で、遍路ころがしも数ヶ所乗り越え、なんとかここまでは順調にたどり着きました。ここからは、違った意味で苦難が続く、まさしく「修行の道場」土佐の國に入っていきます。
【23番札所】 | 医王山 無量寿院 薬王寺(いおうざん むりょうじゅいん やくおうじ) |
宗派: | 高野山真言宗 |
本尊: | 厄除薬師如来 |
真言: | おん ころころ せんだり まとうぎ そわか |
開基: | 行基菩薩 |
住所: | 徳島県海部郡美波町奥河内寺前285-1 |
電話: | 0884-77-0023 |