49番札所浄土寺は、浄土教の先駆者とされる「空也上人」ゆかりのお寺で、口元から六体の阿弥陀小化仏を吐いている空也上人像が安置されています。わたし的な見どころスポットは、裏山の奥の院にある「八十八ヶ所参り」です。
ブラック企業な川?を渡り、旧参道の名残を残す住宅街を進む
48番札所西林寺の参拝後は、私オススメの48番奥の院杖ノ淵(じょうのふち)にぜひ立ち寄っていただき、49番札所「浄土寺」のある北方向に歩を進めていきます。
このあたりから、愛媛県最大都市「松山市」の市街地の雰囲気が出てきて、多くの住宅や商店・飲食店が並ぶ街並みになってきます。
完全に余談なのですが、遍路道を歩いているとハテナな川があったので、以下写真をご覧ください。
こんな川の名前になった由来が気になってしまい、ネットで調べてみると、
●「悪」には強い・たけだけしい・荒々しいという意味もあるので、この川が荒れ川だったことから
●この川の上流で製鉄が行われていて、水や土が赤赭(あかしゃ)色をしていたことから、「アカシャ川」と名付けられ、それが「アクシャ川」に訛った
なんて説があるようです。
昔、このあたりにブラック企業があったという理由ではなさそうなので、一安心です。
西林寺から2kmほど進んで交通量が多い国道11号を渡り、久米小学校脇を通過すると、急に入り組んだ鍵状の道になり、古い遍路石に従って進んだ先は浄土寺の昔の参道であったであろう路地で、これは他の札所の参道とは趣が違っていて、見ものだと思います。
浄土教の先駆者「空也上人」ゆかりのお寺
49番札所「浄土寺」は、浄土教の先駆者「空也(くうや)上人」ゆかりのお寺として有名です。
空也上人は、平安時代中期の僧で、元々は天台宗の僧でありながら複数宗派と関わりを持つ超宗派的立場で、全国各地をまわり「南無阿弥陀仏」の名号を唱えながら道路・橋・寺院などを造るなど社会事業を行い、民間浄土教の布教に努めました。
空也上人の功績を現代に伝える彫像が特徴的で、首から鉦(かね)を下げ、鉦を叩くための撞木(しゅもく)と鹿の角のついた杖をもち、わらじ履きで歩く姿で、6体の阿弥陀仏の小像を針金で繋ぎ、開いた口元から吐き出すように取り付けられているものが全国に数体残っています。
6体の阿弥陀像は「南無阿弥陀仏」の6字を象徴し、念仏を唱えるさまを視覚的に表現しており、空也上人の庶民への布教活動や社会事業の功績を端的に伝える像です。
浄土寺には天平年間(957~960年)に滞在し布教活動を行ったと伝えれており、本堂に前出の特徴そのままの「空也上人像」が安置されており、国の重要文化財に指定されています。
裏山の奥の院に「八十八ヶ所参り」
わたし的な浄土寺の見どころスポットは、裏山の奥の院にある「八十八ヶ所参り」です。
本堂向かって左側の「阿弥陀堂」「愛染堂」の裏側に進んでいくと、本堂の裏山の斜面に沿って墓地になっており、そこの階段道を登っていくと、49番奥の院「牛之峰地蔵堂」があります。
急坂ではありますが、階段が整備されていて、5分も歩けばたどり着きますので、ぜひ立ち寄ってみてください。
上の写真の「地蔵堂」の後ろを見ていただくと、ちらっと見えているのですが、山頂には奥の院のほかに、八十八体の仏像が並び「八十八ヶ所参り」ができるようになっています。
さらに、この裏山から山の尾根づたいに50番札所「繁多寺」方向に進む道が整備されており、途中の道を少し下ると「日尾八幡神社」に山の上からアプローチでき、隣の山の頂上には「愛宕神社」と通ってきた松山市の南方を一望できる展望台もあるので、平地を進むより少し負担はありますが、49番奥の院参拝のあとは、ぜひ山の中を進んでみてください。
49番札所「浄土寺」では、空也上人の功績をしのびつつ、お寺前の参道跡や裏山の「奥の院」と、お寺の周辺にも目を向けて、お気にりのスポットを見つけてみるとよいと思います。
【49番札所】 | 西林山 三蔵院 浄土寺(さいりんざん さんぞういん じょうどじ) |
宗派: | 真言宗豊山派 |
本尊: | 釈迦如来 |
真言: | のうまく さんまんだ ぼだなん ばく |
開基: | 恵明上人 |
住所: | 愛媛県松山市鷹子町1198 |
電話: | 089-975-1730 |