45番札所岩屋寺は、岩山全体を霊地とし、お大師さまの時代より山岳修行の場として、多くの修行僧の信仰を集めてきたお寺です。岩山がそびえる中の数々の修行場にひたすら圧倒され続けました。
八丁坂を登って、山の尾根から「岩屋寺」に到達
久万高原町の44番札所大寶寺を出発し、大寶寺裏山の自然満喫遍路道や、ここからすでに修行が始まる急坂「八丁坂」を登って、山の尾根づたいに45番札所岩屋寺に進んできました。
※大寶寺から岩屋寺の遍路道の様子は、以下リンクの記事もぜひご覧ください。
【44番札所大寶寺→45番札所岩屋寺】大寶寺裏山を通ったあとは峻険な修行道「八丁坂」を登る
八丁坂方向から進むと、「岩屋寺」の山の上から下って境内に進む形になり、この道ですでにただならぬ幽寂な空気を感じます。
この道には三十六童子行場や不動堂があり、奥の院である「白山権現」に向けて岩の裂け目をよじのぼる「逼割(せりわり)行場」は極めつけで、背筋がぞっとするような感覚もありました。
岩屋寺が他の札所とは明らかに雰囲気が違うのは、お大師さまの時代から山岳修行の地とされてきたお寺の成り立ちが関係しています。
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「法華仙人」が岩山で修行して、神通力で空中浮遊
岩屋寺の起源には、すでにこの地で岩窟に籠るなどの修行で法華三昧を成就し、空中を自在に飛行できる神通力を身につけていた「法華仙人(ほっけせんにん)」が、弘仁6年(815年)霊地を探して山に入った空海と出会い、空海の修法に篤く帰依し全山を献上。空海が木造と石造の不動明王像を刻み、木像は本尊として本堂に安置し、また、石像を奥の院の秘仏として岩窟に祀り、全山をご本尊の不動明王として開創したとの伝説が残っているそうです。
お大師さまもこの地で護摩修行をされたそうで、以来山岳修行の霊地として、多くの修行僧が訪れていたとのこと。
そして、これだけの岩山が特徴にも関わらず、山号が「海岸山」なのは、空海が山中の霧を海にたとえて詠んだ「山高き谷の朝霧海に似て松吹く風を波にたとえむ」の歌によるそうです。
建造物の中では「大師堂」が見どころで、大正9年(1920年)に建立されたお堂は、正面の向拝の柱に特徴があり、左右ともに双子柱で上部が細く、バラの花と房飾りが彫刻され、下部には溝彫りを施すなど、随所に西洋建築のディテールを取り入れた造りです。
伝統的仏堂建築に新様式を組み合わせた近代仏堂の代表作とされており、2007年に国の重要文化財に指定されています。
車遍路さんには駐車場から境内までの距離が長いことで有名
岩屋寺は車遍路さんにとっては、駐車場から境内までの距離が長く、苦労することで有名です。
私が境内にいたときにも、参道から上がってくるバス団体遍路さんが、やたら息をきらして、「やっと着いた」とわいわい騒ぎながら参拝されている様子をみて、何か特別な参道なのかと思って見ていました。
駐車場まで下りていくと、そもそも参拝を諦めて、車で待機している年配の方もいらっしゃったので、けっこう厳しい参道なのかもしれません。
歩き遍路にとってはまったく関係ない話で、境内で騒いでいるバス団体遍路さん達に「ぜひ八丁坂を歩いてみてください」と言いそうになりましたが、ぐっとこらえました。
45番札所岩屋寺は、山岳修行の霊場とされる空気を十分に感じることができる、特別な札所でした。
44番札所大寶寺への峠越えも含めて、高原・山岳の難所ですので、特に冬の時期は細心の注意を払って遍路道を歩まれてください。
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【45番札所】 | 海岸山 岩屋寺(かいがんざん いわやじ) |
宗派: | 真言宗豊山派 |
本尊: | 不動明王 |
真言: | のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うん たらた かんまん |
開基: | 弘法大師 |
住所: | 愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥1468 |
電話: | 0892-57-0417 |