49番札所浄土寺の室町時代建造の本堂は、和様唐様折衷の珍しい様式で、国の重要文化財に指定されています。他のお堂と統一感があり整然と並ぶ様子が美しいです。奥の院の88体の仏像がならぶミニ八十八ヶ所にもお立ち寄りを。
和様唐様折衷で国指定重要文化財の本堂
愛媛県松山市にある49番札所浄土寺は750年ごろに恵明上人によって開かれ、のちに弘法大師空海によって再興されています。
国指定重要文化財の本堂は、正面が5間、そのうち中央3間は両開き桟唐戸(さんからど)、両端の各1間と両側面の前側1間には引違い格子板戸を吊込み、四方に4尺の切目縁をまわしています。柱はすべて丸柱で、柱上には平三ッ斗、中備に間斗束(けんとづか)を設置しています。屋根は寄棟(よせむね)造り、向拝(こうはい)なし、軒は一軒ですが本瓦葺です。内部は前から2間を外陣とし、蔀戸(しとみど)を隔てて奥が内陣となり、その中央に厨子が置かれます。
かなり専門的な説明になってしまいましたが、簡単に言うと国内で発達した和様と中国から伝わった唐様とが入り混じった様式になっています。特に屋根形状は棟が短く4隅に向かって流れるような長い隅棟(すみむね)、向拝がなく大きく張り出した深い軒は中国では紫禁城などの最高格式の建物に採用されるタイプです。日本では平安時代以降になると入母屋(いりもや)造りが主流となります。
実はこのような多様式が折衷している建物は、京都や奈良よりも瀬戸内地方や四国に多く残っています。京都や奈良では建築様式に固定観念があり、建てる際は施主の意向に合わせなくてはならなかったのでしょう。これは推測ですが、形式化した建て方に飽きてきて嫌気さえしていた大工さんたちが、もっと自由に仕事をしたい、と考えて都から少し離れたこの地域で自由に仕事をしたのではないかと察します。
本堂は戦後の1960年に大規模な解体修理がされています。建物の大きさに比べて各位置にある鬼瓦が少し小さめに見えます。どれも古い年代物の鬼面タイプです。屋根瓦は葺き替えられたにしても、もしかすると鬼瓦だけは室町時代のものか、少なくともその大きさや形はそのまま再現したものだと思います。鬼瓦は江戸時代から大きくなっていきますので、小さめのものは古いものです。
この本堂には平安時代の念仏僧・空也上人像が安置されています。国指定重要文化財で残念ながら通常拝観はできませんが、鹿の皮を身に着けた空也上人が唱える「南無阿弥陀仏」が口から出ている様子は、有名な京都六波羅蜜寺の空也上人とほぼ同じ形です。
統一感があり美しく並ぶ伽藍
仁王門から進んで正面に本堂があり、大師堂や阿弥陀堂、観音堂がずらっと並んでいます。
遠目に見ると非常に統一感の取れた美しい並びになっています。あまり他では見られない美しい光景は、建物それぞれの佇まいが乱れることなく調和しているからで、具体的にはどの建物も棟が短く屋根の高い寄棟造りで、しかもほぼ同じ瓦の本葺きが揃っていることにありそうです。
これらの建物はどれも奈良の建物を思わせ、観音堂を除いて向拝もなくシンプルで、唐招提寺の金堂のような重厚且つ優美な雰囲気があります。
浄土寺を訪ねた際は、先を急がず腰を下ろして境内でゆっくり滞在しぼーっと建物たちを眺めてやってください。
奥の院「牛之峯地蔵堂」
本堂の左のお墓のあたりに浄土寺公園への案内があり、そこから境内の裏山に入って登って行くと、山頂に地蔵菩薩が祀られている「牛之峯地蔵堂」があり、浄土寺の奥の院になっています。
地蔵堂の後ろには88体の仏像が並ぶミニ八十八ヶ所があり、この場所だけで八十八ヶ所参りができるようになっています。ひとつひとつは大きくない石像ですが88体がずらっと並ぶ光景は壮観です。
中央奥には石造大師像がブロック小屋に祀られています。
境内からは少し傾斜がありますが、歩いて5分もかからないくらいでたどり着くことができる場所ですので、ぜひお立ち寄りいただきたいです。
49番札所浄土寺は、珍しい様式の本堂を中心に、統一感があり整然と並ぶ伽藍が、他の札所では見られない特徴です。どのようにしてこのような様式の建造物ができあがったのか、当時のお寺の僧侶や大工さんの気持ちを想像しながら眺めてみるのもおすすめです。
【49番札所】 | 西林山 三蔵院 浄土寺(さいりんざん さんぞういん じょうどじ) |
宗派: | 真言宗豊山派 |
本尊: | 釈迦如来 |
真言: | のうまく さんまんだ ぼだなん ばく |
開基: | 恵明上人 |
住所: | 愛媛県松山市鷹子町1198 |
電話: | 089-975-1730 |