【50番札所繁多寺】伊予國出身の時宗の開祖・一遍上人と四代将軍・家綱の念持仏

50番札所繁多寺は、伊予國出身の時宗の開祖・一遍上人が逗留し「浄土三部経」を奉納したお寺です。江戸時代には徳川家の帰依を受け、四代将軍・徳川家綱の念持仏であったといわれる「歓喜天」がまつられています。

スポンサーリンク

 

墓地の中を通って「淡路ヶ峠」の中腹へ

49番札所浄土寺を出発し県道40号を少し進むと、進行方向右側の山方向に導く古い遍路石があり、そのすぐ先には「墓地」が広がっていて、通り抜けるのをためらいながら進みました。

繁多寺前遍路道 墓地

遍路道であることをこれだけはっきりと書いてくれていなかったら、道間違いだと思って引き返してしまうと思います。

住宅街をぬけ短距離ながらも急な坂をのぼると、山の中腹の池のほとりののどかな風景の中に溶け込むように50番札所繁多寺があります。
お寺の後ろにそびえる「淡路ヶ峠」という山は「あわじがとう」と読み、峠とありますが山名です。
江戸時代の武将「林淡路守道起」の砦がこの山にあったことが山名の由来になっているそうです。

繁多寺 淡路ヶ峠 門前池

池と山に抱かれるように「繁多寺」が建っています。

お寺は標高80mほどのそれほど高い場所にあるわけではないのですが、松山市街やその先の瀬戸内海まで一望できる景色を楽しむのに絶好のロケーションで、山の豊かな自然に抱かれた境内は「景観樹林保護地区」にも指定されているほどです。

繁多寺 松山市南部の景色

苦労して登っても下界の景色を見ることができない山寺札所が多い中で、繁多寺はほとんど苦労することなく、景色を楽しむことができます。

このあたりの現在の地名は「畑寺(はたでら)」といいますが、繁多寺と豊かな土地で畑が多かったことがかけあわされているという説があるそうです。
ちなみに繁多寺という珍しい寺名は、開創時に天皇から数流の旛を賜ったので旛多寺となり、それが変化して繁多寺になったといわれています。

 

伊予國出身の時宗の開祖・一遍上人ゆかりのお寺

繁多寺は、伊予國出身の時宗の開祖・一遍上人(いっぺんしょうにん)ゆかりのお寺としても知られています。
一遍上人は、鎌倉時代に伊予國の豪族・別府通広の第2子として道後温泉の近くで生まれ、浄土教の布教活動を行い、時宗を開祖したことで有名です。
修行や布教で全国をまわっていましたが、地元の伊予國に戻った際に繁多寺にも逗留し、「浄土三部経」を奉納したそうです。

繁多寺 本堂 境内

「遊行上人」「捨聖」とも呼ばれた一遍上人ゆかりの由緒正しきお寺です。

繁多寺 鐘楼 天井画

元禄9年(1696年)に建立された鐘楼には、「御伽草子」の挿絵24枚が天井画になっています。

繁多寺 山門 千回お接待記念寺名碑

山門前の寺名石は、千回お接待をした方が記念に寄贈したものだそうです。

 

四代将軍・家綱の念持仏であったといわれる「歓喜天」

江戸時代には徳川家の帰依を受け、四代将軍・徳川家綱が念持仏としていた3体のうちの「歓喜天」が、本堂横の「聖天堂」にまつられており、「厄除け」「夫婦和合」「商売繁盛」などにご利益があるといわれ、多くの祈願者が訪れます。

繁多寺 歓喜天 聖天堂

徳川家の帰依をうけたことにより隆盛を極めたようですが、現在はとても静かでのどかな雰囲気のお寺です。

 

淡路ヶ峠からの景色や、のどかな境内に癒され、鎌倉時代から江戸時代にかけてのお寺の隆盛を思い浮かべながら、いよいよ松山市の中心部へと歩を進めていきます。

 

【50番札所】  東山 瑠璃光院 繁多寺(ひがしやま るりこういん はんたじ)
宗派: 真言宗豊山派
本尊: 薬師如来
真言: おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
開基: 行基菩薩
住所: 愛媛県松山市畑寺町32
電話: 089-975-0910

四国遍路巡礼に
おすすめの納経帳

千年帳販売サイトバナー 千年帳販売サイトバナー

この記事を書いた人

お遍路さん初心者です。  2015年1月20日(火)に1番札所を出発し、2015年3月1日(日)に41日間で88番札所で通し歩き結願を果たすことができました。 2015年4月12・13日の2日間で、開創1200年で盛り上がる高野山にお礼参りにも行ってきました。 自身の通し歩き遍路体験を元にお役立ち情報を発信しています。