高野山の信仰の中心として「奥の院」と並んで参拝者が多いのが「壇上伽藍」です。
開創1200年記念で、「中門」の再建が完了したことと、御本尊「薬師如来」の歴史上初の御開帳は見逃せません。
高野山の信仰の中心「壇上伽藍」
空海が高野山に密教の道場を開く際に、高野山の中心として真っ先に整備を開始したのが現在の「壇上伽藍(だんじょうがらん)」で、大日如来を中心とした密教の教義や世界観「胎蔵曼荼羅」を、建造物や仏像、仏画によって目に見える形で表現しようとしたのが、この伽藍です。
建造計画が壮大だったため、第一次の完成は空海入定後の寛平年間(890年前後)だったといわれています。
その後も落雷や火災の被害により、建造物の再建を繰り返し、現在の配置になったのは昭和58年(1983年)で、境内の建造物は19にもおよびます。
高野山信仰の中心として「奥の院」と並んで参拝者が多く、現在でも重要な儀式はこの壇上伽藍の境内にある「金堂(こんどう)」や「根本大塔(こんぽんだいとう)」で行われています。
遍路のお礼参りは奥の院のお大師さまに行いますが、高野山の中心である壇上伽藍の参拝も外せません。
開創1200年記念の目玉事業「中門再建」
2015年は高野山開創1200年にあたり、2015年4月2日~5月21日は特に大法会期間中として、たくさんのイベントが行われていますが、これに合わせて目玉事業として進められてきたのが壇上伽藍の「中門」の再建です。
天保14年(1843年)の大火により焼失し、その後再建叶わずでしたが、170年ぶりに再建を完成し、2015年4月2日にめでたく落慶となり、当日は大相撲の横綱「白鵬」と「日馬富士」の奉納土俵入りも行われました。
御本尊「薬師如来」の御開帳は歴史上初
中門をくぐると、すぐ正面に御本尊が安置されている「金堂(こんどう)」があります。
この金堂は8代目で、1代前の金堂は昭和元年(1926年)の火災で全焼し、この際に御本尊も焼失してしまい、昭和9年(1934年)に再建されました。
このように再三の火災被害と再建を繰り返してきた金堂ですが、高野山の歴史上、御本尊が御開帳されたという記録は残っておらず、今回の開創1200年記念御開帳が歴史上初の御開帳になるとのことです。
これは見逃すことはできません。
御本尊「薬師如来(やくしにょらい)」の像は、昭和初期の大仏師「高村光雲」の作で、これは「阿閦如来(あしゅくにょらい)」であるとする説や、薬師如来と阿閦如来は同体であるとする説もあるようです。
「金剛薩埵坐像」「金剛王菩薩坐像」「不動明王坐像」「降三世明王立像」「普賢延命菩薩坐像」「虚空蔵菩薩坐像」の6仏を脇仏として従え、とにかく神々しいお姿でした。
「三鈷の松」や「霊宝館」など見どころがたくさん
壇上伽藍にはその他にも建造物がたくさんありますし、「三鈷の松(さんこのまつ)」のような史跡もあり、ここでご紹介しきれませんので、ぜひ時間を十分に確保して参拝されることをオススメします。
また、壇上伽藍からすぐのところに、高野山の仏像や仏画など貴重な文化遺産を保存・管理・展示している「霊宝館(れいほうかん)」があり、こちらでも開創1200年記念期間中は、前出の「飛行三鈷杵(ひぎょうさんこしょ)(重文)」、弘法大師の真跡「聾瞽指帰(ろうこしいき)(国宝)」、弘法大師が唐から請来した「諸尊仏龕(しょそんぶつがん)(国宝)」の高野山三大秘宝と、鎌倉時代の名仏師快慶作の「孔雀明王像(重文)」、運慶作の「八大童子像(国宝)」が期間限定で特別公開されていますので、こちらも拝観することがオススメです。
遍路お礼参りの奥の院参拝と並んで、壇上伽藍参拝は高野山では外せませんので、十分に時間を確保して、ゆっくり境内を散策してください。
開創1200年記念の特別公開もお見逃しなく。
【施設名】 | 壇上伽藍(だんじょうがらん) |
住所: | 和歌山県伊都郡高野町高野山132 |
電話: | 0736-56-3215 |