30番札所善楽寺は、土佐の國の総鎮守である土佐一宮「土佐神社」の別当寺の役割を果たしてきた重要なお寺。明治時代の神仏分離により廃寺となってからは苦難や混迷の時代を乗り越えて現代に至ります。
いよいよ高知市内に突入
29番札所国分寺を打ち終えると、いよいよ高知市内に向けて歩みを進めていきます。
次の30番札所「善楽寺」までは約7kmの道のりですが、途中は「国分川」の輝く水面を眺める気持ちのよい川沿い道路を歩き、南国市と高知市の境は「逢坂峠」をよいしょと越えれば、ほどなくして到着です。
土佐の國の総鎮守である土佐一宮「土佐神社」
30番札所善楽寺は、土佐の國の総鎮守である土佐一宮「土佐神社」の「別当寺」として創建されました。
徳島県の13番札所大日寺でも「一宮神社」がお寺のすぐ向かいにありましたが、「一宮」とはその地域で最も社格が高いとされてきた神社で、江戸時代以前に神仏習合がされていた時代に神社を管理するために置かれたお寺を「別当寺」といいます。
すなわち善楽寺は土佐で最も社格の高い神社を管理してきた重要な役割を担ったお寺なのです。
別当寺だったがゆえの苦難や混迷の時代
明治時代以降は、別当寺だったがゆえの苦難や混迷の時代をむかえてしまいます。
神仏分離により廃寺となってしまい、再興されたのは昭和5年のこと。
それまでは札所も現在の高知駅近くの「安楽寺」が担っていたため、そこからしばらくは30番札所が2カ所ある状態が続いていたそうです。
「善楽寺」が30番札所、「安楽寺」が30番札所奥の院という現在の形で決着がついたのが平成6年ということなので、最近まで混乱が続いていたかと思うと、これだけの歴史をもったお寺でも、時制やその時々の人々の考えによって翻弄されるものなのだとしみじみ思ってしまいました。
※30番札所奥の院安楽寺に関しては、以下リンクの記事で詳しく紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
【30番札所奥の院安楽寺】明治時代初期に消えた30番札所を復活させた寺院と標石
一時的に29番札所国分寺に移されていた弘法大師像は、大正時代に建てられた現在の大師堂に無事戻ってこられて、「厄除け大師」として特に交通安全などに霊験あらたかとされています。
私が参拝した2015年2月1日はちょうど本堂内で「護摩供付大般若転読祈願法会」が行われており、多くの人が集まっていました。
国分寺手前で国分川の大清掃も年一回の機会にちょうど遭遇でしたし、2月の第一日曜は行事が多いのかもしれません。
神仏習合・分離の歴史を学びつつ、遍路道中の大都会のひとつ「高知市内」に進んでいきます。
【30番札所】 | 百々山 東明院 善楽寺(どどざん とうみょういん ぜんらくじ) |
宗派: | 真言宗豊山派 |
本尊: | 阿弥陀如来 |
真言: | おん あみりた ていせい からうん |
開基: | 弘法大師 |
住所: | 高知県高知市一宮しなね2丁目23-11 |
電話: | 088-846-4141 |