奈良時代に聖武天皇の勅願で創建された29番札所国分寺の周辺は、中世まで土佐の國の中心「国府」でした。「土佐日記」で有名な「紀貫之」も滞在したことのある地で、開創1200年記念で特別にお大師さまと御手綱でご縁を結びました。
土佐の國の中心「国府」と紀貫之の「土佐日記」
28番札所大日寺を出発してからは、高知県に入ってからはなかった田園地帯を8kmほど歩き、29番札所「国分寺」に到着します。
国分寺の起源は、奈良時代に聖武天皇の勅願で全国各地に「国分寺」が建立されたことによるもので、四国各國にもそれぞれ建立され、現在は4県の「国分寺」がそれぞれ88ヶ所霊場のひとつにもなっています。
ここ29番札所国分寺の周辺は、奈良時代よりその國の政治・司法・軍事・宗教などの中心である「国府(こくふ)」になっていました。
土佐の國の国府で思い出されるのが「紀貫之(きのつらゆき)」です。
紀貫之といえば「土佐日記」の作者ですが、紀貫之は土佐の國に政務を司る「国司(こくし)」として赴き、国府での4年間の任期を終え、土佐から京に帰還する際の出来事に脚色を加え日記風に綴ったのが「土佐日記」なのです。
日本初の日記文学(紀行文)といわれており、ほとんどが仮名で表現され、書き手を女性に仮託していたことが特徴で、その後の女性文学の発達にも影響を与えたといわれています。
私は「土佐日記」といえば、お菓子の「土左日記」を思い浮かべてしまう食いしん坊なのですが、銘菓にもなるほど「土佐日記」は高知で親しまれ、その起源がここ「国分寺」の地だと思うと、お寺が一層立派に見えてきます。
※参考にお菓子の「土左日記」に関する情報のリンクをはっておきます。
土佐銘菓「土左日記」 (菓子処 青柳): http://www.tosa-aoyagi.com/ec-shop/products/detail.php?product_id=51
重要文化財の「金堂」と「苔寺」ともいわれる見事な庭園
奈良時代からその國の中心になってきた由緒正しきお寺なので、境内や建造物も見事なものが現代にも残っています。
まず見どころなのが、国指定の重要文化財にもなっている「本堂」である「金堂」です。
特に屋根に注目なのですが、「こけらぶき」といわれるとても薄い板を重ねて屋根をつくる手法で、2014年にふきかえられたばかりなので、とても美しい姿をしています。
「こけら落とし」という言葉がありますが、この語源がここでいう「こけら」と同じ意味で、建造物が完成したあと、屋根から木くずや木片を払い落すことからきているそうです。
次の見どころは庭園です。
納経所に向かっていくと、複数のお堂が立ち並ぶ中に、手入れの行きとどいた美しい庭園が広がっています。
この庭園は、杉に生える苔が特に美しいことから「土佐の苔寺」ともよばれているそうです。
開創1200年記念で特別にお大師さまとご縁を結ぶ
私が訪れた2014年2月は四国霊場開創1200年記念期間中で、国分寺では大師堂に「御手綱(みてづな)」を引いてくださっていました。
この御手綱ですが、5色の色鮮やかな綱で、大師堂の中の「弘法大師像」の御手に結ばれており、この綱に触れてご真言を唱えることでお大師さまと直接ご縁を結ぶことができるというものです。
弘法大師像に限らず、他のお寺では御開帳された御本尊と結ばれている場合もあります。
特に1200年記念期間中は、特別御開帳や御手綱設置を行っているお寺が多かったので、この時期にまわって得をした感じもあります。
ちなみに、国分寺には御手綱の解説看板が設置されていました。
これまでまわってきたお寺でも御手綱はあったように思いますが、このようにちゃんと解説してくれていることで、初めてこの綱の意味を正確に理解しました。
お寺に詳しい方には当たり前なんでしょうけど、初心者はいろいろ知らないことが多いのです。
国分寺の立派な境内と歴史に、室戸の厳しい修行の僻地から土佐の中心地に歩いてこられたことを実感し、現代の中心地の高知市内へと歩みを進めていきます。
【29番札所】 | 摩尼山 宝蔵院 国分寺(まにざん ほうぞういん こくぶんじ) |
宗派: | 真言宗智山派 |
本尊: | 千手観世音菩薩 |
真言: | おん ばざらたらま きりく |
開基: | 行基菩薩 |
住所: | 高知県南国市国分546 |
電話: | 088-862-0055 |