【20番札所鶴林寺への遍路道】南北朝時代建立の「丁石」が残る国指定史跡「鶴林寺道」

阿波三大遍路ころがしのひとつに数えられる難所である20番札所鶴林寺への登山道は、舗装路が途切れて未舗装になると石畳の道や鶴林寺までの距離を示す南北朝時代に建立された「丁石」が登場します。この風情抜群の遍路道は国史跡に指定されています。

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鶴林寺道_石畳

山中に石畳が残り旧来の遍路道風情を今に伝えるこの道は、文化庁の史跡名勝天然記念物「阿波遍路道」として指定を受けております。

 

国指定史跡「阿波遍路道」

鶴林寺道_国指定史跡「阿波遍路道」説明看板

20番札所鶴林寺・21番札所太龍寺への遍路道はいくつもの箇所が史跡指定を受けておりますが、こちらの看板で紹介されている範囲は設置した勝浦町の部分のみ紹介されています。

●鶴林寺道
水呑大師-20番札所鶴林寺
●太龍寺道
20番札所鶴林寺-勝浦町/阿南市境、若杉山遺跡-21番札所太龍寺山門手前
●かも道
21番札所太龍寺山門手前までの約1.3km
●いわや道
21番札所太龍寺-(旧)龍の岩窟分岐
●平等寺道
(旧)龍の岩窟分岐から約0.7km

20番札所鶴林寺21番札所太龍寺があるエリアではこれらの遍路道区間が史跡指定を受けており、現代では舗装道路を進む区間が大部分になっている歩き遍路において貴重な旧遍路道の宝庫といえます。

鶴林寺道_国指定史跡「阿波遍路道」説明看板_鶴林寺区間案内

登坂がきつい印象がある鶴林寺への遍路道ですが、等高線で見れば周辺に比べて緩い部分をたどっていることがわかります。

阿波遍路道のカテゴリーで国史跡の指定を受けているのは、

13番札所大日寺境内
5番札所地蔵寺境内
焼山寺道
一宮道
14番札所常楽寺境内
恩山寺道
立江寺道
鶴林寺道
20番札所鶴林寺境内
太龍寺道
かも道
21番札所太龍寺境内
いわや道
平等寺道
22番札所平等寺境内
雲辺寺道

になります。

以下のサイトでは、四国各県で史跡指定を受けている遍路道や全国に存在する文化財について調べることが可能です。

国指定文化財等データベース: https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/index

 

南北朝時代建立の「丁石」がのこる「鶴林寺道」

鶴林寺道_国指定史跡「阿波遍路道」説明看板_鶴林寺道詳細案内

阿波山中における史跡を調べていると、しばしば南北朝期のエピソードが登場しますが、こちらでも触れられています。

史跡というからには歴史の裏付けになる物証がなければいけないと思いますが、鶴林寺道においては南北朝期に建てられた鶴林寺までの距離を知らせる花崗岩製の丁石の存在が決め手のようです。

南北朝時代とは、建武の新政で後醍醐天皇と共闘関係にあった足利尊氏が離反し、北朝は京、南朝は吉野にわかれて天皇を擁立した期間のことを指します。広義では室町時代の一部に当たりますが、とりわけ室町時代初期の1337年から1392年の約50年間がそのように呼ばれます。元号は北朝と南朝でそれぞれ異なりました。

結果的に北朝の勢力が増し、南朝が譲位する形で南北朝時代は終焉となるのですが、その過程で南朝方では追討に遭った武将も多く、命を奪われないまでも畿内を追われ山中での隠棲を余儀なくされた例が数多く存在します。その南北朝期の山中隠棲エピソードでしばしば登場するのが阿波國(現在の徳島県)で、近畿地方から海を挟んだ対岸という比較的近距離な点や山深い徳島はその条件に合っていたようです。
※阿波山中と畿内との関係を現代に伝えるエピソードに関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

【三木家住宅】阿波國山中で皇室に衣を貢進している一族のお話[前編]

【三木家資料館】阿波國山中で皇室に衣を貢進している一族のお話[後編]

それでは南朝と北朝ではどちらが正統な朝廷なのでしょうか。

この件については、明治時代に後醍醐天皇から続いていった南朝の天皇が正統な皇位継承者だったという公式見解が出され、以降その歴史観が定着したようです。歴代天皇のカウントにおいても足利尊氏が擁立した北朝の天皇は北朝1・北朝2・北朝3…のように、歴代天皇の代番号には含まれていません。
しかしながら南北朝合一が実現した明徳の和約(1392年)において、南朝第4代の後亀山天皇が北朝第6代の後小松天皇に譲位する形を取ったため、以降の皇統は北朝に由来します。ちなみに今上天皇は第126代です。

北1・光厳天皇(父は第93代・後伏見天皇)→北2・光明天皇→北3・崇光天皇→北4・後光厳天皇→北5・後円融天皇→北5/第100代・後小松天皇
第96代(南1)・後醍醐天皇(父は第91代・後宇多天皇)→第97代(南2)・後村上天皇→第98代(南3)・長慶天皇→第99代(南4)・後亀山天皇

 

お遍路さんを癒してきたであろう「水呑大師」

鶴林寺道_水呑大師

「水呑大師」は「みずのみだいし」と読みますが、空海さんがこの地を訪れた際に杖で地面を突くと水が湧き出た古事にちなみそのように呼ばれています。

水呑大師がある場所は史跡としての鶴林寺遍路道が始まる地点で、水呑大師と書かれた祠があります。

鶴林寺道_水呑大師_清水

古い書籍で「大師加持し玉ひ清水凛然たり」と紹介されている山中の清水です。

現在も岩の隙間から清水が湧き出る様子を観察することができます。険しい遍路ころがし道中の湧水といえば、11番札所藤井寺から12番札所焼山寺へ向かう焼山寺道の「柳水庵」や愛媛県柏坂の「柳水大師」などが思い出されます。
※柳水庵と柳水大師に関しては、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

【11番札所藤井寺→12番札所焼山寺】歩き遍路最初にして最大の難所の「遍路ころがし」

【愛媛県愛南町柏坂】四国有数の遍路ころがし道中にある中務茂兵衛建立の大師像

水に乏しい山上において清らかな水を得ることができる水呑大師の存在は、遍路ころがしを通行するお遍路さんを何人も救ってきたことと思われます。

 

国指定史跡「阿波遍路道」の一部に指定されている、20番札所鶴林寺へ向かう「鶴林寺道」の豊かな自然環境や、石畳・丁石・水呑大師などの史跡は、かつてのお遍路さんの姿を彷彿とさせる貴重なものです。現代では少なくなったこのような旧来の遍路道を大切に受け継いでいきたいものです。

※国指定史跡「鶴林寺道」区間にある中務茂兵衛標石に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

【20番札所鶴林寺への遍路道】国指定史跡「鶴林寺道」にある情報豊富な中務茂兵衛標石

 

【「水呑大師」 地図】

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この記事を書いた人

四国遍路案内人・先達。四国八十八ヶ所結願50回、うち歩き遍路15回。四国六番安楽寺出家得度。四国八十八ヶ所霊場会公認先達。 高松市一宮町で「だんらん旅人宿そらうみ(http://www.sanuki-soraumi.jp/)」を運営。