20番札所鶴林寺を目指してこれから登山が始まるという地点に、石板のような平べったい標石が残されています。札所距離が正確に記されている標石の施主は愛知県の人物のようですが、その在所ならではの珍しい地名を目にすることができます。
標石正面に表記されている内容
<正面>
右(浮彫指差し)
鶴林寺へ●●丁
左(浮彫指差し)
立江寺へ二リ半
施主
愛知縣葉栗郡
草井村字小杁
前田わきの
六十二才
こちらの標石は中務茂兵衛標石ではありませんが、そのような標石の場合は大きさがバラバラで記載事項や刻字ルールが一定ではないため解読が難しく、調査を避ける場合があります。
こちらの標石は幸いにも字がしっかりしていてほぼ全ての記載内容を解読することが可能です。
立江寺二里半→19番札所立江寺
鶴林寺●●丁→20番札所鶴林寺
立江寺からこの地点まで約10kmなので、示されている「二里半」の距離がピッタリ合います。
鶴林寺までの距離が記された部分の解読が難しくなっているのですが、距離にすると約2.9kmですので、二十七丁前後の距離が記されていたと推察できます。
<正面下部>
・
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・
施主
愛知縣葉栗郡
草井村字小杁
前田わきの
六十二才
愛知縣葉栗郡草井村字小杁(あいちけんはぐりぐんくさいむらあざおいり)→現・愛知県江南市
現在の愛知県江南市は、古くは養蚕業で栄えそれが転じた繊維産業が盛んな街で、とりわけカーテンに使用する生地繊維の生産量が日本一なので、私たちの気付いていないところで江南市で作られた製品に触れているかもしれません。
「小杁」は「おいり」と読みますが、「杁」は普段生活していて見かけることが少ない珍しい漢字だと思います。それもそのはず「杁」の字は尾張國生まれの国字になります。意味としては水量調整を目的に設けられた樋(とい)のことです。すなわち村内を流れる木曽川から川水を村内へ引いて生活や産業に活用するわけですが、その取水口を当地では杁と呼んだようです。「圦」とも書きます。
施主住所の地域と木曽川を挟んだ岐阜県南部の地域は古くから治水の歴史を有する土地なので、そのような土地事情から生まれた当地ならではの地名といえます。ですので、愛知県の木曽川に面した地域を調べると、他にも杁と付く地名はいくつも見つかるのではないでしょうか。
江南市の近くではありませんが、名古屋鉄道に二ツ杁(ふたついり。愛知県清須市)という名の駅があります。
標石右面に表記されている内容
<右面>
大正十二年二月吉日建之
標石があるのは順打ち歩き遍路で鶴林寺に向かう場合に登山口に当たる場所です。ここから鶴林寺山・太竜寺山の二山を越えることになりますが、中間の大井集落に宿泊施設がないため、大きく迂回して宿泊するか、一日で二山を登って無事に下山しなければなりません。この場所を出発する際は時間の余裕を十分に持って、食糧・水分を切らさないよう調達してから鶴林寺遍路道へ進まれるようにしてください。
標石メモ
発見し易さ ★★★★★
文字の判別 ★★★★☆
状態 ★★★★☆
総評:標石があるのは順打ち歩き遍路で鶴林寺に向かう際に登山口となる場所で、多くのお遍路さんにとって自然に目に入る石と思われます。平べったい標石ですが情報は正面に集中していて文字がしっかりしています。今回見落としましたが、左面下部に世話人の表記があるようです。
※個人的な感想で標石の優劣を表すものではありません
※この標石がある登山口から20番札所鶴林寺方面に少し進んだ先ある標石に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【20番札所鶴林寺への遍路道】麓の集落で登山道の方向を示す中務茂兵衛標石
【「20番札所鶴林寺登山口の標石」 地図】