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南北朝時代、足利尊氏の北朝勢力から逃れるために海を渡り阿波國へやってきた忌部氏と、その末裔・三木家。 麻の縫製に長けた技能を持ち、新しい天皇が即位するたびに儀式で用いられる衣を貢進してきました。

※ 本記事は2部作記事の後編です。よろしければ以下リンクの前編を先にご覧ください。

阿波國山中、皇室に衣を貢進している一族のお話[前編]【三木家住宅】


こちらの記事で出てくる読み方が難しい単語…

大嘗祭(だいしょうさい)
麁服(あらたえ)
木屋平(こやだいら)
麻植(おえ)
忌部(いんべ)

入口に三木家、忌部氏の案内

徳島県最古の民家・三木家住宅(美馬市木屋平)

 

大嘗祭 と 麁服

こちら "はなれ" は資料館

こちら はなれ は資料館

三木家本宅の隣にある、いわゆる “はなれ” が資料館になっていて、その歴史について学ぶことができます。

大嘗祭(だいしょうさい)や麁服(あらたえ)のこと

大嘗祭(だいしょうさい)や麁服(あらたえ)のこと

新しい時代の天皇が即位する際に行われる神事が “大嘗祭(だいしょうさい)
そこで着用される衣が “麁服(あらたえ)

南朝の消滅以降途絶えていた麁服の貢進は、大正天皇の大嘗祭から復活。 最も最近では 平成2年に行われた。
その際には慣例により忌部氏の流れを汲む三木一族の手によって、麻の栽培から製糸、縫製が行われ麁服が貢進され、儀式に用いられた。

麻素材は軽くて通気性が良いという特徴から、戦前は軍服などの被服の需要から麻の栽培が奨励されてきたが、戦後、連合国(GHQ)の統治方針によって麻の栽培が禁止された。

これは麻が麻薬である大麻成分を含むことによる措置であったが、元々日本の麻は大麻成分が弱く、またそれを吸引する文化も無かった。
この政策によって国内における麻の生産は 事実上消滅したが、三木家による麻栽培だけは麁服が貢進されてきた歴史があり 、特別に免除された。

この地が元々、麻の栽培が盛んだったことは、地名としても残る。
三木家住宅がある木屋平村(現 美馬市木屋平地区)、忌部氏ゆかりの忌部神社がある山川町(現 吉野川市)は、元々「麻植(おえ)郡」に所属。
その地名の由来は、大和國から阿波に移り住んだ忌部氏が、雑穀や麻の種子を植え土地の開拓を行ったことに因む。

麻植郡木屋平村 → 1973(昭和47年) 美馬郡木屋平村 → 2004(平成16年)美馬市木屋平
麻植郡山川町 → 2004(平成16年)吉野川市山川町

それぞれ所管変更が行われ、麻植郡は現在消滅している。

 

阿波山中で見られる桜の名所

吉野(南朝)を偲んで桜が多く植えられています

吉野(南朝)を偲んでか、桜が多く植えられています

木屋平地区を始め、徳島県の山中には 桜のスポットが多く存在します。
三木家住宅周辺を始め、川井峠のしだれ桜、少し離れた神山町も桜の名所です。

また、愛媛県でも 内子町小田に新田八幡宮なる神社があり、その付近の地名は桜原。
内子町と言ってもこちらも山深い場所で、43番明石寺から44番大寶寺へ向かう遍路道の途中。
新田氏と言えば 南朝の有力武将です。

結果的に南朝勢力は全国各地に散らばった後、北朝への統一によって 消滅した。
慣れない土地・厳しい環境ながら、山中に桜が多く植えられている場所へ行くと、故郷・吉野を偲んで桜を植えたのかな… もちろん全ての桜がそういうわけでは無いのでしょうが、阿波山中の桜を見ていると隠棲せざるを得なかった人々の、故郷を想う気持ちに寄り添うことができます。

昨今、天皇陛下の口から譲位の話が出て、法整備が進められています。
実現すると天皇が交代、元号が変わると共に「大嘗祭」が行われ、三木家一族によって編まれた麁服が登場することでしょう。
まだそのような視点からの話題はあまり登場していないように思いますが、先々三木家一族と麁服がどのような形で取り上げられるのか、楽しみです。

これら忌部氏や三木家史跡は 遍路道から少し離れた場所に位置しますが、木屋平地区にもぜひお立ち寄りください。

 

【「三木家住宅」 地図】

 

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野瀬 照山

八十八ヶ所案内人・先達であり、旅人をお迎えするゲストハウスそらうみを運営。 四国八十八ヶ所結願30回、うち歩き遍路12回。 四国六番安楽寺出家得度。四国八十八ヶ所霊場会公認先達。 高松市一宮町で「さぬき高松ゲストハウスそらうみ(http://www.sanuki-soraumi.jp/)」を運営。