新しい天皇が即位する際、儀式で使用する衣を貢進してきた一族が徳島県の山中に暮らしていることはあまり知られていません。その一族「三木家」が暮らしてきた住宅が史跡として保護されています。
山奥に隠棲した南朝の末裔
遍路道中からは少し外れた場所になりますが、うだつ立ち並ぶ古い街並みで有名な脇町から、清流で知られる穴吹川を遡って剣山へ向かう途中に、こちらの分岐が現れます。
エリアとしては、役行者小角が開山した山岳修験の聖地で空海も修行したと伝わる高越山(こうつざん)山頂にある番外霊場「高越寺(こうつじ)」や、歩き遍路の最初にして最大の難関である12番札所焼山寺(しょうさんじ)がある、山々が連なる徳島県の中央部です。
木屋平村(こやだいらそん)
現在は市町村合併により美馬市の一部となった美馬市山間部の木屋平地区。
「どうしてこんなところに住んでいるのだろう…?」
徳島県山間部に行った時。 山の上に立つ住宅を見ると必ず覚える疑問ですが、案内板を読むとその理由がわかる気がします。
木屋平の "平" は平家を意味するもの。 その後、南北朝の争いから逃れてきた南朝方の末裔が隠れ住んだ。 山深い阿波山中は 落人たちにとって、隠棲するには格好のロケーションだったことでしょう。
三木家の源流・忌部氏
三木家住宅は現存徳島県最古の住宅。
今の時代、決して便利とは言えない山奥にこれほど大規模な家屋があることに驚きます。
そして南朝の末裔・阿波忌部氏のことが記されています。
元々「忌部(いんべ)氏」は、大和國に由来。 現在の奈良県橿原市に "忌部" という地名が存在するので、その付近が出自であることがわかります(現在のイオンモール橿原付近)。
そこから近い場所にあるのが吉野山。
桜で有名な吉野山は南北朝動乱の際、後醍醐天皇によって 南朝が置かれた場所。 京に北朝を建てた足利尊氏と対立する形が56年間続き、最終的には北朝に統一される形で南北朝時代は終わりを告げ、室町時代へと続いて行った。
その過渡期に忌部氏の一派は、難を逃れるために海を越えて 四国へ渡った。
しかしながら阿波で平穏な生活が待っているわけではない。 武将や有力な豪族が 次々と北朝に加担していく中で、忌部氏は山奥に身を潜め南朝方が蜂起した際いち早く加勢できるように、反撃の機会を窺い続けた。
その忌部氏の末裔・三木家一族は麻の縫製を得意としており、歴代天皇が即位するごとに 儀式に用いられる衣を貢進してきたのです。
後編は以下リンクの記事につづきます。
【三木家住宅】阿波國山中、皇室に衣を貢進している一族のお話・後編
【「三木家住宅」 地図】