19番札所立江寺は、各県に1ヶ所ずつある「関所寺」のひとつで、阿波の関所です。「黒髪お京肉付鐘の緒伝説」が関所になった由来とされ、お寺の手前の遍路道中に「お京塚(遍路小屋京塚庵)」という関連の史跡も残っています。
「関所寺」とは?
四国八十八ヶ所霊場には、各県に1ヶ所ずつ「関所寺」とされている札所があり、「お大師さまの審判を受け、邪悪なものは先に進めない」とされています。
各県の難所になっている札所で、土佐は27番札所神峯寺、伊予は60番札所横峰寺、讃岐は66番札所雲辺寺、そして阿波はここ19番札所立江寺が最初の関所としてそれに当たります。
立江寺以外の3ヶ寺は、山登りを伴うわかりやすい難所なのですが、立江寺は海に近い平地で険しい道のりではないのですが、なぜ関所寺とされているのでしょうか。
それには、このあとご紹介する伝説が関係しているらしいです。
黒髪お京肉付鐘の緒伝説
立江寺には「黒髪お京肉付鐘の緒伝説」が残っています。
石州浜田(現在の島根県浜田市)城下通り町三丁目桜井屋銀兵衛にお京という娘がおりました。
お京は、16歳の時、大阪新町へ芸者に売られ、そこで芸妓として務めるうち、要助という者と契りそめ、22歳の時、大阪を脱走し生国浜田へ立ち帰り、親に頼みて要助と夫婦になりましたが、お京の心様が最も悪しく慣れるにつれ、我儘増長し、鍛冶屋長蔵という密夫をつくってしまいました。これを夫要助に嗅ぎつけられ、二人とも散々に打ち叩かれ、邪見のお京は長蔵を手引きして、夫要助を打ち殺してしまいます。
お京と長蔵の二人は、故郷を逃げ出し、讃岐丸亀(現在の香川県丸亀市)へ渡り心中しようとしましたが気後れして心中することができず、後生のため四国巡礼の遍路に出ました。
享保3年(1718)、阿波の国(現在の徳島県)にある19番札所立江寺にお参りし、本尊の地蔵尊を伏し拝まんとするや、忽ち、お京の黒髪が逆立ち鐘の緒に巻きついてしまいました。苦痛のお京を見て、長蔵は狼狽し、住職に救いを求めました。
住職は罪障の報いであろうと思い、二人に今までの行いを問いただしました。お京は仏罰の恐ろしさに、全てを懺悔しました。すると、不思議にも、お京の黒髪は肉とともにはがれ、辛うじて命は助かりました。
その後、二人は改心し出家して、田中山(立江寺より北へ500メートル現在のお京塚)というところに庵をむすび、一心に地蔵尊を念じ生涯を終えました。
お京の黒髪付の鐘の緒を立江寺の堂(黒髪堂)に納め置いたのは、亨和3年(1803)の春だという。
―ウェブサイト空海 四国昔話八十八ヶ所巡り より
なかなか恐ろしい伝説ですが、ここ立江寺で改心したということなので、私も気を引き締めなおして、遍路道を進もうと決意しました。
お寺の境内には「黒髪堂」が現在も残されています。
「お京塚」には遍路小屋「京塚庵」
お京さんが庵を結んだ「お京塚」には、現在は遍路小屋「京塚庵」が建っています。
18番札所恩山寺を出発してから約3kmの立江寺より少し手前の遍路道沿いで、とても目立つので、すぐにわかると思います。
念のため、場所の地図もつけておきます。
この遍路小屋で名文句を見つけたので、ここで転載・ご紹介します。
東から来る人もある
西から来る人もある
また南から来る人もある
だから北なくしないでね
お京さんに関所通過をお願いし、無事に立江寺を通過できれば、このあとはまた難所が待ち構えています。
立江寺で、気持ちを落ち着かせ、初心を思い出し、遍路道を進んでいきたいものです。
【19番札所】 | 橋池山 摩尼院 立江寺(きょうちざん まにいん たつえじ) |
宗派: | 高野山真言宗 |
本尊: | 延命地蔵菩薩 |
真言: | おん かかかび さんまえい そわか |
開基: | 行基菩薩 |
住所: | 徳島県小松島市立江町若松13 |
電話: | 0885-37-1019 |