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86番札所「志度寺」は、推古33年(626年)に創建されたと伝わる古刹で、広大な境内を有し、多くの重要文化財があるお寺です。
このお寺の起源に関わる「海女の玉取り伝説」が語り継がれ、海女の墓とされる史跡が現在も残っています。

「本堂」「本尊」「山門」は重要文化財

86番札所「志度寺」がある「さぬき市志度」は、江戸時代に活躍した偉才「平賀源内」の生まれ故郷であり、お寺の手前の遍路道では源内ゆかりの場所を散策しながら、お寺へとたどり着きました。
※志度の遍路道の様子は、以下リンクの記事もぜひご覧ください。

多彩な分野で活躍した偉才「平賀源内」の生まれ故郷を歩く【86番札所「志度寺」周辺】

「志度寺」に到着してまず目を引かれたのが、お寺入口の「山門」と「五重塔」です。

立派な仁王様が守る堂々とした「山門」と朱色が鮮やかな「五重塔」が迎えてくれました。

立派な仁王様が守る堂々とした「山門」と朱色が鮮やかな「五重塔」が迎えてくれました。

「山門(仁王門)」は、江戸時代、高松藩主「松平頼重」より寄進されたそうで、仁王像は運慶作と伝えられ、国の重要文化財に指定されています。

「五重塔」は、昭和50年(1975年)に完成した高さ33mの朱色が鮮やかな塔で、地元出身の実業家によって寄進されたそうで、海沿いの平地にあるお寺の存在が遠くからもわかるシンボルになっています。

「本堂」も歴史を感じる堂々としたもので、「山門」と同じく「松平頼重」寄進の江戸時代の建造物で、これも国指定の重要文化財です。

「本堂」に安置されている「本尊(十一面観音立像)」と「脇侍(不動明王立像・毘沙門天立像)」は檜一木造りで平安時代のものと伝えられ、これも国指定の重要文化財です。

「本堂」に安置されている「本尊(十一面観音立像)」と「脇侍(不動明王立像・毘沙門天立像)」は檜一木造りで平安時代のものと伝えられ、これも国指定の重要文化財です。

このように歴史ある建造物や仏像が残っている「志度寺」の起源をたどると、推古天皇の時代にさかのぼる古刹で、創建に関わる有名な伝説も残されています。

 

一人の海女の悲しい話「海女の玉取り伝説」

「志度寺」は、推古33年(625年)に瀬戸内海の海洋技能集団海人族の「凡園子(おおしそのこ)」が霊木を刻み精舎を建てたのが始まりとされています。

その後、お寺の基礎が築かれるきっかけになった出来事があり、現代にも「海女の玉取り伝説」として語り継がれています。

飛鳥時代の大化の改新の中心人物であった「藤原鎌足(ふじわらのかまたり)」は、娘「白光」を唐の高宗「許」に嫁がせていて、鎌足が亡くなった知らせを聞いた娘が供養のために3つの宝物を日本に送りました。
唐から船で運んでいる途中、志度沖で龍神が現れ、その宝物の1つ「面向不背の玉」を奪われてしまい、鎌足の跡を継いだ息子の「藤原不比等(ふじわらのふひと)」は「淡海」という変名を使って志度の地に赴き、玉の行方を探索することになりました。
その最中に志度で「玉藻」という名の海女と出会い、恋に落ちて男児をもうけ、玉藻に自分の素姓とこの地へやって来た目的を明かしたところ、玉藻は玉が海中の龍宮にあることを突き止め、奪還を試みたところ、龍神に襲われてしまいます。
傷つき息も絶え絶えとなった玉藻は最後の力を振り絞って、護身の短刀を自らの乳房下に突き刺して十字に切り裂くと、その中に玉を押し込めて海面にまで辿り着き、不比等に取り出した玉を渡し、残された男児を藤原家の跡取りにと頼むと、息を引き取ったという伝説です。

志度寺に玉藻を葬り、不比等と息子「藤原房前(ふじわらのふさざき)」は都に帰りますが、のちに母の最期を聞いた房前が行基とともに志度寺を訪れ、母の追善をとむらうためにたくさんの石塔を建立し、これは「海女の墓」として現在も残されています。

境内北方向海側に「海女の墓」が柵に囲われた状態で残っています。

境内北方向海側に「海女の墓」が柵に囲われた状態で残っています。

様々な形の石が積み上げられた珍しい形のお墓です。

様々な形の石が積み上げられた珍しい形のお墓です。

このような悲しい伝説ではあるのですが、このことがきっかけで藤原氏によって「志度寺」の基礎が築かれ、当時は「死渡(しど)道場」という名で、補陀落浄土への「関所」である聖なる空間として、僧侶や信者の修行道場になり、お寺が発展していったようです。

「海女の玉取り伝説」を含めた志度寺の縁起を絵図にした「絹本著色志度寺縁起」も残されており、国の重要文化財に指定されていて、現在は修復作業が行われているそうです。

 

「曲水式庭園」と「無染庭」

広大な境内の「志度寺」には多くの見どころがあるのですが、その中でもぜひ拝観しておきたいのが「曲水式庭園」と「無染庭(むぜんてい)」です。

お寺南側の書院と宝物館の裏側にあり、「曲水式庭園」は室町時代に管領の細川氏によって作庭され、貴族が屈曲した川の流れの前に座り、上流から盃が流れてくる間に歌を詠み、流れてくる酒を飲む「曲水の宴」を行っていたそうです。

庭内にある川は、昔はお寺の外にもつながっていて、内陸から海に流れ出ていたそうです。梅雨の時期はこの川に水がたまって、室町時代の貴族が歌を詠んで遊んだ当時をより感じられるそう。

庭内にある川は、昔はお寺の外にもつながっていて、内陸から海に流れ出ていたそうです。梅雨の時期はこの川に水がたまって、室町時代の貴族が歌を詠んで遊んだ当時をより感じられるそう。

昭和の時代に入り、「曲水式庭園」の修繕と同時に著名な作庭家「重森三玲(しげもりみれい)」によって造られたのが枯山水の「無染庭」です。
「無染庭」は、前出の「海女の玉取り伝説」を表現しているそうで、岩と白砂で瀬戸内海の島と波を、岩に隠れるように岩を配置しているのは海女が「玉」を隠して持ち帰ったことを表しているとのこと。

「無染庭」は、本来であれば書院から眺める配置なのだと思いますが、書院裏側にまわってちらっとのぞかせていただきました。

「無染庭」は、本来であれば書院から眺める配置なのだと思いますが、書院裏側にまわってちらっとのぞかせていただきました。

 

86番札所「志度寺」は、その長い歴史の中で、多くの興味深いエピソードがあり、それを現代にも伝える文化財がたくさん残っているお寺です。
お寺の歴史を学んだ上で、じっくりと拝観したいお寺のひとつです。

 

【86番札所】  補陀洛山 志度寺(ふだらくさん しどじ)
宗派: 真言宗善通寺派
本尊: 十一面観世音菩薩
真言: おん まか きゃろにきゃ そわか
開基: 藤原不比等
住所: 香川県さぬき市志度1102
電話: 087-894-0086

 

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ごんのすけ

お遍路さん初心者です。  2015年1月20日(火)に1番札所を出発し、2015年3月1日(日)に41日間で88番札所で通し歩き結願を果たすことができました。 2015年4月12・13日の2日間で、開創1200年で盛り上がる高野山にお礼参りにも行ってきました。 自身の通し歩き遍路体験を元にお役立ち情報を発信しています。