87番札所長尾寺から88番札所大窪寺へ向かう中継地点である「前山ダム」までの旧遍路道には、昔の遍路文化の名残を感じる史跡がたくさんあります。歩き遍路さんの足跡をたどりながら結願を目指します。
遍路史跡が集まる「釈迦堂」
87番札所長尾寺を出発し、桜の名所で野宿スポットでもある「香川県立亀鶴公園」に立ち寄ってから、遍路道に復帰しました。
※「亀鶴公園」の様子は、以下リンクの記事もぜひご覧ください。
【香川県立亀鶴公園】東讃地域きっての桜の名所は安心の野宿スポット
長尾寺から南下してきて、川を渡った「塚原」の交差点からは、県道3号の裏道になっている「鴨部川(かべがわ)」沿いの旧道が遍路道になっていて、この道を進んでいきます。
この旧遍路道は、現在は両脇に住宅と田畑が並ぶ生活道で、自動車は主には県道3号を走るので、歩き遍路にとっては安全で、地元の空気を感じることができる風情のある遍路道です。
この道には、昔の遍路文化の名残が色濃く残る史跡がたくさんあります。
「塚原」の交差点からしばらく歩くと、まず見つけたのが「釈迦堂」です。
このお堂の中には、珍しい石造の釈迦像が、地蔵像と一緒にまつられていて、昔からお遍路さんが結願への安全を祈願してお参りをしていくそうです。
また、周りにある石碑は、江戸時代の明和2年(1765年)に造られた供養塔、近隣3カ村の女人講中光明真言200万遍の記念碑、大窪寺への道標、南無妙法蓮華経碑、と遍路にまつわるもので、江戸時代から多くのお遍路さんがこの道を歩いていったことを思い起こさせます。
このような史跡が住宅が立ち並ぶ中でもしっかりと残されているのは、さすが結願への遍路道といったところで、地域の方々の遍路文化に対する意識の高さを感じます。
江戸時代のお接待文化の史跡「一心庵」
「釈迦堂」から少し歩いた先には、これも江戸時代の明和元年(1764年)創建の「一心庵」があります。
この「一心庵」は、古くから道行くお遍路さんにお接待をしていた拠点だったようで、小豆島をはじめ遠方からお接待をするために集団でこの地を訪れてたそうで、それを示す史跡が残っています。
近隣住民だけではなく、講を結んで、遠方からお接待をするためにこの地を訪れていた歴史は興味深いものです。
「高地蔵」「馬の墓」と磨崖仏の大師堂
さらに歩を進めると、またまた目を引く史跡を発見です。
このお地蔵さまは「高地蔵」と呼ばれていて、川沿いで川の氾濫があっても流されないようにこのように高い台座の上にお地蔵さまをまつることがあります。
この地もすぐ近くに「鴨部川」が流れていて、昔は氾濫が起こっていたのだと思うので、被害にあわないための祈願や、地域の方やお遍路さんでいきだおれになってしまった方の供養の意味もあるのだと思います。
まわるにある墓石の中には「馬の墓」もあり、昔の輸送で重要な役割を担っていた馬を手厚く葬る文化があったことを示しています。
そして、上の写真の中央にありますが、岩に直接彫られた「磨崖仏」も興味深く、お堂の中には岩に彫られた大師像がまつられていて、珍しい仏像を1カ所でいくつも見ることができる史跡スポットでもあります。
この旧遍路道沿いには、ご紹介した史跡スポット以外にも、古い道標や遍路墓と思われるものなど、昔の遍路文化の名残を感じる史跡がたくさん残されており、結願への気持ちを盛り上げてくれました。
また、地域で整備してくださっている休憩スポットもいくつかあり、歩き遍路さんにやさしい道のりです。
この旧遍路道を2kmほど進むと、「前山ダム」が見えてきて、ここまでたどり着くと、いよいよ結願の88番札所大窪寺への山登りのスタートになります。
長尾寺を出発して、塚原の交差点から前山ダムまでの旧遍路道には、たくさんの遍路史跡があり、結願前に遍路文化を目一杯感じられる遍路道です。
道すがら出会う史跡に目を凝らしながら、ゆっくり歩んでみてください。