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86番札所「志度寺」がある「志度町」は、江戸時代に多彩な分野で活躍した偉才「平賀源内」の生まれ故郷です。
「志度寺」に向かう遍路道沿いには源内ゆかりの場所がたくさんあります。

蘭学者・文学者・実業家など多種多様な顔をもつ「平賀源内」

85番札所「八栗寺」を出発し「五剣山」を下り、遍路の父「真念」終焉の地である「愛染寺」に立ち寄って、86番札所「志度寺」がある「さぬき市志度」に入ってきました。
※「八栗寺」からの遍路道の様子は、以下リンクの記事もぜひご覧ください。

遍路の父「真念」終焉の地「愛染寺」周辺の休憩スポット【85番札所「八栗寺」→86番札所「志度寺」】

ここ「志度」生まれの偉人として有名なのが、江戸時代に活躍した「平賀源内(ひらがげんない)」です。
讃岐高松藩の足軽身分の家に生まれた源内は、幼少期から異彩を放っていて、天神様の掛け軸に細工をして、徳利を傾けると天神様の顔が赤くなる「御神酒天神」をつくったエピソードは有名です。
このようなことが評判となり、13歳から本草学(中国で発達した医薬の学問)や儒学を学び、長崎留学での蘭学、鉱山技術の習得など、多種多様な才能を発揮するようになります。

遍路道沿いには源内の生家跡が資料館になっていて、国の登録有形文化財として保存されています。

遍路道沿いには源内の生家跡が資料館になっていて、国の登録有形文化財として保存されています。

旧邸横には源内先生がいらっしゃいました。

旧邸横には源内先生がいらっしゃいました。

この燈籠は近くの醤油問屋の当主が石鎚神社奉献と漁船のしるべのために建てられた自然石を利用したもので、志度旧道の見どころのひとつです。

この燈籠は近くの醤油問屋の当主が石鎚神社奉献と漁船のしるべのために自然石を利用して建てられたもので、志度旧道の見どころのひとつです。

 

施設名:  平賀源内旧邸
営業時間: 9:00~17:00
定休日: 月曜日 ※祝日、振替休日の場合はその翌日
年末年始(12/29~1/1)
住所:  香川県さぬき市志度46-1
電話: 087-894-5513

 

「エレキテル」と「土用の丑の日」

源内はアイデアマンとしても知られ、発明家の顔も持っていました。
一般によく知られているものとして「エレキテル」と「土用の丑の日」があります。

「エレキテル」とは、オランダで発明された摩擦式の発電機をベースに、源内が復元製造した摩擦起電器で、電気の存在自体の科学的理解・研究がほとんどなされていなかった江戸時代において、このような発明を行った価値は高く、後世にも語り継がれています。

また現代でも残っている「夏バテ防止のために土用の丑の日にウナギを食べる」習慣は、夏場の売り上げ不振に悩んだ鰻屋に請われて、源内が考案した「本日土用丑の日」という広告キャッチコピーが元との説があります。
このことは日本におけるコピーライターのはしりとも評されていて、長い時を経て現代にも続く習慣になっていることは、源内のアイデアマンとしての才能を物語るエピソードのひとつです。

「志度寺」の手前には「平賀源内記念館」があり、源内の足跡を学ぶことができます。

「志度寺」の手前には「平賀源内記念館」があり、源内の足跡を学ぶことができます。

記念館近くの「さぬき市志度図書館」にはお遍路休憩所が併設されていますので、源内ゆかりの地をたどりながらひと休みするのもよいと思います。

記念館近くの「さぬき市志度図書館」にはお遍路休憩所が併設されていますので、源内ゆかりの地をたどりながらひと休みするのもよいと思います。

 

施設名:  平賀源内記念館
営業時間: 9:00~17:00
定休日: 月曜日 ※祝日、振替休日の場合はその翌日
年末年始(12/29~1/1)
住所:  香川県さぬき市志度587-1
電話: 087-894-1684
施設HP: http://ew.sanuki.ne.jp/gennai/

 

「志度寺」隣接の「自性院」には源内の墓

「志度寺」の山門前の「自性院(じしょういん)」は、平賀家の菩提寺で、源内の義弟(末妹の婿)として平賀家を継承した「平賀権太夫」が、義兄である源内を一族や故郷の旧知の人々の手で弔うために建てたと伝えられる墓があります。

「志度寺」隣接の「自性院」の山門をくぐってすぐ右手にお墓がありますので、ぜひお立ち寄りを。お大師さまもいらっしゃいます。

「志度寺」隣接の「自性院」の山門をくぐってすぐ右手にお墓がありますので、ぜひお立ち寄りを。お大師さまもいらっしゃいます。

源内の死に関しても、ある意味源内らしいエピソードがあり、大名屋敷の修理を請け負った際に、酒に酔い修理計画書を盗まれたと勘違いして大工の棟梁2人を殺傷したため投獄され、獄中で破傷風により亡くなるという非業の最期をとげています。

「解体新書」を翻訳したことで有名な蘭学者で源内の友人でもあった「杉田玄白」は墓碑に、
「嗟非常人、好非常事、行是非常、何死非常 」
読)ああ非常の人、非常のことを好み、行いこれ非常、何ぞ非常に死するや
意)ああ、何と変わった人よ、好みも行いも常識を超えていた。どうして死に様まで非常だったのか
と刻んでおり、源内の非業の死を悼むとともに、偉才ぶりをたたえています。

また、源内の死に関しては、逃げのびて書類としては死亡したままで、田沼意次ないしは高松藩(旧主である高松松平家)の庇護下に置かれて天寿を全うしたという説もあり、このような謎を残すのも源内らしいところです。

 

86番札所「志度寺」がある「志度町」の遍路道には、江戸時代に活躍した偉才「平賀源内」ゆかりの史跡がありますので、時間の余裕があればぜひ散策してみてください。

 

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ごんのすけ

お遍路さん初心者です。  2015年1月20日(火)に1番札所を出発し、2015年3月1日(日)に41日間で88番札所で通し歩き結願を果たすことができました。 2015年4月12・13日の2日間で、開創1200年で盛り上がる高野山にお礼参りにも行ってきました。 自身の通し歩き遍路体験を元にお役立ち情報を発信しています。