愛知県南知多町にある知多四国霊場43番札所岩屋寺は、知多四国霊場の中でも特に歴史が長い「知多三山」のひとつで、尾張高野山宗総本山、尾張徳川家の祈願所など重要な役割を担う大寺院で、新しい取り組みも積極的に行っています。
風光明媚な南知多町山海にある知多四国霊場43番札所岩屋寺
南知多町(みなみちたちょう)の山海(やまみ)エリアは、知多半島の最南端に位置し、南知多温泉を楽しむ人が多く訪れるリゾート地で、海が間近なので夏場は海水浴客でもにぎわいます。山海エリアの海岸から少し山並みの方に入った静かな場所に、知多四国霊場43番札所岩屋寺(いわやじ)があります。
南知多町の美しい自然環境に囲まれていて、空海(弘法大師)の足跡が刻まれたこの寺院は、知多四国霊場の中でも特に歴史が長く中心的な役割を担う「知多三山」に数えられ、地元の人や知多四国霊場の巡礼者、観光客に愛されています。
※知多三山に関しては、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【知多四国霊場】特に長い歴史をもち中心的な役割を担う「知多三山」
「尾張徳川家の祈願所」「尾張高野山宗総本山」と重要な役割を担う大寺院
江戸時代後期に活躍した天台宗の高僧「豪潮律師(ごうちょうりっし)」が、尾張藩主・徳川斉朝(とくがわなりとも)の依頼で当時の岩屋寺に赴き、伽藍の整備を行い中興し、病気平癒の加持祈祷を行った縁で、尾張徳川家の祈願所となり、三葉葵の御紋章を許されることとなり、現在でも岩屋寺のシンボルとなっています。
奈良時代初期の霊亀元年(715年)に44代元正天皇(げんしょうてんのう)が、使いとして押小路中納言実直を都からこの地に派遣し、行基(ぎょうき)に人々に仏の教えを説いて聞かせ導く役を担わせ、聖観音菩薩の開眼供養を行ったことが岩屋寺の開基と伝わっています。十二坊、大門、楼門、多宝塔などの堂塔伽藍が建立されたそうです。
天台宗の寺院としての歴史が長く、先述の豪潮律師の中興などを経て、昭和26年(1951年)に改宗し、尾張高野山宗総本山となりました。
現在は、本堂に入って正面に御本尊の千手観世音菩薩が、右隣には弘法大師がお祀りされており、土足でお堂の中に入って近くでお参りできますので、ぜひお近づきになってみてください。なお、本堂内は撮影禁止となっていますので、ご注意ください。
弘法大師空海修行の聖地「岩屋寺奥之院」
岩屋寺には、弘法大師空海が護摩行を行ったとされる洞窟が現在ものこっており、奥之院として大切にされています。百日護摩行ののち、ご自身の像も納められ「もし、我を信ずる者あらば、病気災難など身代わりに立ちつかわさん」という言葉も残され、「身代り大師」という名前で今も語り継がれています。
知多四国霊場の札所の中で唯一の三重塔が有り、知多四国霊場番外札所にもなっています。ロケーションは最高で、三重塔の美しい姿を絵に描いたり写真に収める人がたくさんいる観光名所でもあります。
岩屋寺奥之院は、番外札所ではありますが普段は無人で、納経印や御朱印は岩屋寺本堂でいただくことができます。岩屋寺本堂と岩屋寺奥之院の距離は、徒歩で約3分と近いので、本堂と奥の院をあわせてお参りすることも容易ですし、奥の院専用駐車場もあるので、車移動でも便利です。
様々な霊場の札所
岩屋寺は、長い歴史を持ち知多半島で重要な役割を担う大寺院であるため、知多四国霊場とは別に知多西国三十三観音霊場、南知多三十三観音霊場、尾張三十三観音霊場(東海百観音霊場)と様々な霊場の札所にもなっています。
●知多四国霊場43番札所(奥之院:番外札所)
知多半島全域に分布する弘法大師空海ゆかりの札所を巡礼する霊場で、知多半島の霊場でもっとも認知度が高いです。
※知多四国霊場の成り立ちや歴史、巡礼方法に関しては、以下リンクの記事で詳しくご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【知多四国霊場】開創を成し遂げた三開祖の強い想いと大きな苦労・努力のエピソード
【知多四国霊場】参拝スタイルや巡礼の準備物と弘法大師空海御生誕1250年記念特別企画
●知多西国三十三観音霊場1番札所(奥之院:2番札所)
今から250年以上前からあるとされる、知多半島に点在する観音菩薩を祀る札所を巡る霊場で、知多半島で最古の霊場とされています。33ヶ所の札所には、知多四国霊場の札所も多く含まれています。
明和7年(1170年)、岩屋寺中之坊第十六世の智善上人が、観音菩薩のお告げによって知多半島に開創した霊場を伝わっています。1度でも巡礼すれば十悪五逆の人でも極楽に往生できるといわれ、ひとりでも多くの人が幸せになるようにと開かれたそうです。
●南知多三十三観音霊場25番札所(奥之院:番外札所)
美浜町と南知多町にある観音菩薩を祀る番外を含め37札所を巡る、全行程45kmほどの霊場で、知多四国霊場の札所も多く含まれています。
昭和5年(1930年)に、地元の観音信仰者の強い要望により、西国三十三観音霊場の御分身と各札所の霊土を奉安して開創されました。南知多三十三観音霊場を巡拝することは、西国三十三観音霊場を巡拝することと同じ功徳があるといわれています。
海の美しい景色や新鮮な海鮮グルメを満喫しながら、気楽に楽しめる霊場です。
●尾張三十三観音霊場7番札所(東海百観音霊場7番札所)
江戸時代より庶民信仰の中心的存在だった観音霊場巡礼でしたが、明治時代の廃仏毀釈の影響で少しづつ衰退し、さらに太平洋戦争の空襲で愛知県の寺院はことごとく焼失し、観音霊場信仰が消えかけようとしていました。そんな中、西国・秩父・坂東霊場を何度も巡礼されていた長谷川勇夫婦の強い呼びかけと努力があり、尾張地方(愛知県の旧尾張藩の地域)に新しく開創されたのが尾張三十三観音霊場です。昭和30年(1955年)8月8日に名古屋市昭和区の興正寺で結成式が厳修され、11月には各札所寺院において、開創記念大法会が行われました。
納経帳には「東海百観音 尾張三十三観音霊場」と書かれていますが、これは尾張三十三観音霊場の他に、三河三十三観音霊場(愛知県の東側)と美濃三十三観音霊場(岐阜県)があり、この3つの観音霊場と結願所である愛知県豊川市の豊川稲荷をあわせて東海百観音霊場をすることが理由です。
多彩な授与品と寺院に気軽に足を運べるイベント
岩屋寺は、知多四国霊場の札所の中でも屈指のバリエーション豊富な御朱印がいただけることで有名で、御朱印巡りで県外から参拝に来られる人も多くいらっしゃいます。令和5年(2023年)は弘法大師御生誕1250年の記念の年で、いろいろなイベントが行われる際にカラフルな記念御朱印が頒布されました。オリジナル御朱印帳も販売していますので、御朱印巡り好きの人には特におすすめの寺院です。
用品の販売にも力をいれている寺院です。
巡礼用品は一通り品揃えされており、霊場巡礼を始める前にすべての用品を揃えたり、巡礼途中に足りないものがあった場合に補充するのに便利です。
たくさんの商品の中で、知多四国霊場の札所の中で私が知る限り唯一「塗香(ずこう)」を購入することができます。塗香は粉末状のお香で、少量を手にとり、身体に塗り込んで使用し、魔除けや身を清める役割があるので、寺院参拝時に手水と同じような意味で使ったり、写経のするときに使ったりします。心地よい香りにはリラックス効果もあるので、普段の生活シーンで身につけるのもおすすめです。
オリジナルグッズも開発していて、カジュアルな観音様デザインのTシャツ、クリアファイル、手ぬぐいなど多彩で、SNSでも話題になっています。
いろいろな人がお寺に足を運ぶきっかけになるように、イベント開催にも積極的で、写経教室、うでわ数珠作り教室、独自のフォトコンテストなどがあります。毎月17日に大祭を開催していて、その際に併催される岩屋寺マルシェには、多種多様なお店が出店していて、境内がにぎわっています。
知多三山のひとつに数えられる岩屋寺は、長い歴史を持つ大寺院で、いろいろな参拝者を受け入れるための取り組みを積極的に行っています。岩屋寺がある南知多町は、綺麗な海岸線が広がり、新鮮な海産物を提供する飲食店や温泉ホテルもたくさんありますので、霊場巡礼の参拝はもちろん、観光ついでにもでも、気軽にぜひ立ち寄ってみていただきたい寺院です。
【「知多四国霊場43番札所岩屋寺」 地図】