知多四国霊場の札所で、特に長い歴史を持つ、南知多町の43番札所岩屋寺、常滑市の61番札所高讃寺、東海市の82番札所観福寺は、昔から「知多三山」と呼ばれています。3ヶ寺の歴史や共通点をご紹介します。
知多四国霊場の札所で特に長い歴史をもつ「知多三山」
知多四国霊場の札所の中で、特に歴史が長い3ヶ寺が昔から「知多三山(ちたさんざん)」と呼ばれています。ただし、この名称は、知多四国霊場各札所の住職がそう呼んでいる業界用語的なもので、地域の人や知多四国霊場を巡礼している人にはあまり一般的ではありません。いつの頃から知多三山と呼ぶようになったのか、誰が言い出したのかは、はっきりした理由はわかっていません。
とはいえ、知多四国霊場の中でも長い歴史とともに大きな規模の寺院として中心的な役割を担っていたり、たくさんの信仰を集めるお寺ですので、ご紹介したいと思います。
●43番札所岩屋寺(いわやじ) 南知多町
※岩屋寺の詳細情報は、以下リンクの記事ご紹介しています。
【知多四国霊場43番札所岩屋寺】尾張高野山宗総本山で尾張徳川家ゆかりの大寺院
●61番札所高讃寺(こうさんじ) 常滑市
※高讃寺の詳細情報は、以下リンクの記事でご紹介しています。
【知多四国霊場61番札所高讃寺】幾度も戦乱に巻き込まれた行基開基のかつての大寺院
●82番札所観福寺(かんぷくじ) 東海市
※観福寺の詳細情報は、以下リンクの記事でご紹介しています。
【知多四国霊場82番札所観福寺】伊勢湾台風の甚大な被害から復興を果たした寺院
知多三山の共通点
知多三山にはいくつかの共通点があります。
●行基の創建
3ヶ寺ともに奈良時代に菩薩と尊敬され民衆に人気のあった僧「行基(ぎょうき)」が開基したと伝わっています。この背景には、当時の天皇により、国家の安定や皇室の繁栄などを祈願するために、全国各地に信仰を広げていくという思いが強かったことと思われます。知多三山を開基したときの行基和尚は、出家してから間のない時期でしたが、行基の優れた能力や民衆への影響力が国家や天皇にとって必要不可欠であったといえます。
●天台宗
3ヶ寺ともに天台宗の寺院だった歴史があります。知多四国霊場の札所はいろいろな宗派の寺院がありますが、その中でも知多三山が同じ宗派であることは、はっきりした理由はわかりませんが、歴史的に知多半島で天台宗が一定の影響力をもっていたことを示していると思います。
天台宗は「最澄(さいちょう)」が、唐で思想体系を学んで持ち帰り、日本で広めた宗派で、最澄が登場する以前にも、加持祈祷が特に重要視されて、天皇や多くの人々から絶大な支持を得ていたため、知多半島においても受け入れられやすい宗派だったのかもしれません。
岩屋寺は昭和26年(1951年)に天台宗から尾張高野山宗総本山に改宗していますが、高讃寺と観福寺は現在でも天台宗の寺院です。
●山の近くに立地
3ヶ寺ともにかつては山に存在していました。山は神や仏が存在する場所として山岳信仰の聖地で、天台宗のように厳しい修行をする宗派では、山は修行の地ともされてきました。そのような意味で、天台宗の知多三山が山に立地していたことは自然です。
現代では、土地の開拓が進み、昔の山の面影が失われてきている面がありますが、今なお山岳信仰の聖地として崇められる雰囲気を備えていると思います。
知多三山と呼ばれる3ヶ寺は、知多四国霊場の中でも中心的な役割を担い、それぞれの地域の拠点となる寺院でもあります。知多半島に観光で訪れるときにぜひ立ち寄っていただきたいですし、知多四国霊場を巡礼する人はこの3ヶ寺を目標に拠点にしながら巡っていくとよいと思います。
【「知多三山」 地図】