知多四国霊場71番札所大智院は、唯一無二の黒いめがねをかけた弘法大師像が祀られており、目の健康に関するご利益があることで知られています。八百比丘尼伝説の巨木は生命力にあふれ、勇気づけられることでしょう。
のどかな田園地帯にある71番札所大智院
知多四国霊場で、常滑市北部と知多市南西部の比較的に近い場所にかたまっている札所群があります。
66番札所中之坊寺(なかのぼうじ)、67番札所三光院(さんこういん)、68番札所宝蔵寺(ほうぞうじ)、69番札所慈光寺(じこうじ)、70番札所地蔵寺(じぞうじ)、71番札所大智院(だいちいん)、72番札所慈雲寺(じうんじ)の7ヶ寺です。札所間の距離が近く、歩いても巡りやすいので、歩き遍路初心者さんがお試ししてみるのにもおすすめのエリアです。
この7つの札所は、かつてこのエリアにあった金蓮寺(こんれんじ)という巨大寺院群と、現在の常滑市の史跡になっている大野城(宮山城)と関係がありました。
※7つの札所の概要と、金蓮寺・大野城との関係に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【知多四国霊場】金蓮寺と大野城に関連している常滑市・知多市の札所群
札所群のうち、知多市の南部の南粕谷地区にあるのが71番札所大智院です。
知多市は知多半島北西部にあり、丘陵地帯に田園が広がっていて、大智院がある南粕谷地区も米作農家が多く、秋になると美しい黄金色に輝く稲穂が一面に広がります。
大智院は、聖徳太子が開基とされる古刹です。 室町時代の明応7年(1498年)の紹長和尚の時に、この地を治めていた大野城主の佐治伊賀守為永の祈願所となりました。 当初は「楊柳山」と号していましたが、戦国時代の天正年間(1573年~1592年)の戦乱にも兵火がかかることを免れたことから、江戸時代に入って元禄5年(1692年)に「金照山」と改めたそうです。
黒いめがねをかけた唯一無二の「めがね弘法」
大智院は、別名「めがね弘法」と呼ばれています。
江戸時代後期の安政年間(1855年~1860年)の頃に、盲目で苦しんでいた老人が大智院を訪れ、弘法大師像に熱心に祈ったところ目が見えるようになり、かわりに弘法大師像の目に傷がつき、老人は自分の愛用していた黒眼鏡を弘法大師像に奉納し、それ以降大智院の弘法大師像は黒いめがねをかけているそうで、全国の寺院を見渡しても黒いめがねをかけた弘法大師像があるのは大智院だけとされています。
このことから、目の健康に関するご利益をいただける寺院して広く知られています。目薬や健眼効果があるとされる飴やお茶などの授与もあります。
八百比丘尼伝説のクスノキ
また、大智院の駐車場脇には、樹齢1300年以上とされるクスノキの巨木があります。このクスノキは、八百比丘尼(やおびくに)という伝説の女性に関する特別な伝説と関係しています。
八百比丘尼は、父親が持ち帰ってきた魚を人魚と知らずに食べた結果、不老長寿になり、若々しいままの状態で800歳まで生きたといわれ、年を経て無常を感じた彼女は尼になって全国を放浪しながら大智院にたどり着き、感謝と記念の意味を込めてクスノキを植えたとされています。村の人々によって八百比丘尼の精霊が宿る神聖な木として崇拝され、祠も建てて現在でも開運・商売繁盛・夫婦円満・美容など様々なご利益があると信じられ大切にされています。
大智院のめがね弘法の御朱印と弘法大師生誕1250年記念宝印
大智院の御朱印には、「めがね弘法」の文字が入り、いかにも目の健康にご利益をいただけそうです。住職自ら書き入れてくださる御朱印の書体は、滑らかで水の流れのような美しさが特徴です。
2023年は弘法大師生誕1250年の記念の年にあたり、知多四国霊場では御朱印に弘法大師御生誕記念宝印が期間限定(2023年1月1日~2024年6月30日)で追加で押されます。札所ごとにデザインが異なり、大智院の記念宝印は、弘法大師空海の幼少期の真魚(まお)が微笑んでいるデザインです。温かみのある優しい印象が、大智院のお遍路さんに対する優しさを表しているかのように伝わってきます。記念宝印は、納経帳にも押していただけます。
また、大智院はお遍路に必要な用品の品ぞろえが豊富です。住職や寺院の職員さんが用品の選び方や参拝作法などをアドバイスもしてくださるので、お遍路初心者さんにとってはとても心強いです。
知多四国霊場71番札所大智院では、唯一無二のめがね弘法に目の健康をぜひ祈願してみてください。住職や寺院の職員さんが親切に対応してくださるので、お遍路初心者さんは札所順に関わらず、巡礼の早い段階で大智院を訪れるのがおすすめです。
【「知多四国霊場71番札所大智院」 地図】