知多四国霊場72番札所慈雲寺は、知多木綿発祥地で古い街並みがのこる知多市岡田地区にある寺院です。地域で最古の建造物である観音堂に保管されている「雨乞いの壺」には、地域住民の想いが込められた伝説がのこっています。
知多木綿発祥地の中心部にある72番札所慈雲寺
知多四国霊場で、常滑市北部と知多市南西部の比較的に近い場所にかたまっている札所群があります。
66番札所中之坊寺(なかのぼうじ)、67番札所三光院(さんこういん)、68番札所宝蔵寺(ほうぞうじ)、69番札所慈光寺(じこうじ)、70番札所地蔵寺(じぞうじ)、71番札所大智院(だいちいん)、72番札所慈雲寺(じうんじ)の7ヶ寺です。札所間の距離が近く、歩いても巡りやすいので、歩き遍路初心者さんがお試ししてみるのにもおすすめのエリアです。
この7つの札所は、かつてこのエリアにあった金蓮寺(こんれんじ)という巨大寺院群と、現在の常滑市の史跡になっている大野城(宮山城)と関係がありました。
※7つの札所の概要と、金蓮寺・大野城との関係に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【知多四国霊場】金蓮寺と大野城に関連している常滑市・知多市の札所群
札所群のうち、知多市の中央部の岡田地区にあるのが72番札所慈雲寺です。
岡田地区は、江戸時代に木綿の産地として栄え「知多木綿発祥地」とされています。街並みには江戸時代から明治時代にかけて商業地として発展した名残の土蔵や黒板塀など伝統的な建築物が多くのこっていて、タイムスリップしたようなノスタルジックな雰囲気を味わうことができます。
岡田地区のレトロな街並みの中心部に慈雲寺があります。
慈雲寺は、室町時代の観応元年(1350年)に当時この地を治めていた大野城主の一色範光(いっしきのりみつ)が開基したと伝わっています。明徳年間(1390〜1394年)に一色詮範(いっしき あきのり)が、観音大士の加護をうけて建て直した記録が残っています。慈雲寺の山号「白華山(はっかざん)」は、観音菩薩の異名からの命名といわれています。
江戸時代に火災によって多くの建造物を焼失しましたが、観音堂だけは無事でした。観音堂は、大野城内にあった建物を岡田地区に移築したものだとされています。明歴3年(1657年)に虎渓元長が中興し、万治元年(1658年)には岡田地区の豪族・寺尾土佐守直龍が、堂宇を建て直すなど、地域の武将や豪族と縁の深い歴史をもつ寺院です。
現在の慈雲寺の建造物は、本堂・庫裏・位牌堂・大師堂・観音堂・薬師堂・書院・鐘楼・山門があり、広大な敷地面積をほこります。
岡田地区最古の建造物である観音堂と「雨乞いの壺」
観音堂には逸話が伝わる「雨乞いの壺」が保管されています。
言い伝えによると、遠い昔の夏場に日照りが続き作物が育たなくて村人は困り果て、慈雲寺の和尚に相談しました。和尚は壺を持ち、観音堂の裏の池の水をくみ、観音様に一心に祈り続けたところ、次第にあたりは曇り始め、大雨が降り出し、村人は喜び感謝しました。観音様が壺を抱えて降りてきたという説もあります。その後も壺は、今から約200年前まで雨乞いの祈祷に使用されていたそうです。
知多市にはこのほかにも雨乞いに関する伝承がたくさん存在しています。特に岡田地区は、米はもちろん、知多木綿の原料となるワタの生育のために雨はとても大切で、慈雲寺も含め、地域の寺院は雨乞い祈祷などで重要な役割を果たしていたと思われます。
そのような環境で発展していった知多木綿の産業は、元々は農家の副業として始まったものですが、やがて「江戸おくり日本一」といわれるほどにまで有名になっていきました。
レトロな街並みが人気の岡田地区
レトロな街並みがのこる岡田地区は観光地としても人気を集めています。ノスタルジックな雰囲気を写真に収めるのはもちろん、知多木綿に関連した伝統的な手織り体験や布製品を扱うお店でのショッピングなど楽しみ方はいろいろです。
また、古建築物をリノベーションしたカフェやパン工房、地ビール工場などもでき、歴史的な建造物と現代的なサービスが融合したお店の活躍で、地域全体の注目度が上がっています。
知多四国霊場72番札所慈雲寺は、木綿産業で栄えた岡田地区で重要な役割を果たし、観音堂や雨乞い伝説など歴史的なエピソードもたくさんある名刹です。寺院参拝だけでなく、周辺のレトロな街並みも散策して、地域の歴史や現代の新しい活動にも触れてみてください。
【「知多四国霊場72番札所慈雲寺」 地図】