【高知県】高知県の神社仏閣からひもとく歴史と地域性

高知県には四国八十八ヶ所霊場の24番札所から39番札所があり、4県の中で最長の距離を進むことから「修行の道場」と呼ばれています。高知県内にある神社仏閣からその成り立ちや歴史をひもとき、地域性を解説します。

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高知県の神社仏閣からひもとく歴史

高知県は、坂本龍馬をはじめ三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎(いわさきやたろう)、板垣退助、元内閣総理大臣の浜口雄幸(はまぐちおさち)、中江兆民(なかえちょうみん)など、 日本を代表する知恵者を輩出した土地であり、寺社信仰の面でも知恵を尊重する気風を感じます。

高知県内で最も参拝者が多いのは高知市の潮江(うしおえ)天満宮とされますが、ここは学問の神様として受験生の参拝が多いといいます。

四国八十八ヶ所霊場の31番札所竹林寺も、お遍路さんだけでなく地元住民の参拝も集めます。五台山(ごだいさん)と号するように 「三人寄れば文殊の知恵」で知られる文殊菩薩の聖地であり、京都府の切戸文殊、奈良県の安倍文殊とともに日本三文珠のひとつに数えられています。
また、高岡郡津野荘からは「五山文学の双璧」と称えられる義堂周信(ぎどうしゅうしん)と絶海中津(ぜっかいちゅうしん)が出ています。

土佐の一宮は高知市一宮にある土佐神社で、味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)と一言主神(ひとことぬしのかみ)を祀り、四国八十八ヶ所霊場30番札所善楽寺が別当でした。大祭の志那祢(しなね)様は、中土佐町の御神穀(おみこく)様、仁淀川町の秋葉(あきば)様、四万十市の一條公(いちじょこ)様、いの町の大国(だいこく)様などとともに、 土佐三大祭に数えられています。

土佐の二宮は日高村の小村(おむら)神社といわれ、小村大天神として国常立命(くにのとこたちのみこと)を祀っていますが、剣・大刀や大日如来の信仰もみられます。高知市の朝倉神社の天津羽々神(あまつははがみ)も、土佐神社の后宮とされたことから、二宮とされました。

1960年代までは山間部では林業や焼畑習俗が盛んであり、それに付随して盆の太鼓踊りやイザナギ流御祈禱などの神楽が各地の寺社で奉納されてきました。
高岡幡多郡の山間部では「土佐の茶堂の習俗」も村々でみられました。人々は沿道に吹き抜けの簡素な小堂を建て、弘法大師や地蔵の像を祀り、親睦や祭祀の場として、また、旅商人やお遍路さんに接待する場として利用してきました。 こうした民俗は、四国遍路の信仰を支える一助になっていたと考えられます。

室戸岬

24番札所最御崎寺がある室戸岬。空海が洞窟にこもって修行したと伝わる聖地です。

 

高知県の古建築物・文化財

高知県で国宝の建築物は1件で、大豊町にある豊楽寺の薬師堂です。国指定重要文化財の建築物は土佐神社のほかに四国八十八ヶ所霊場の29番札所国分寺31番札所竹林寺があり、高知城も指定されています。
※豊楽寺、土佐神社、竹林寺、国分寺に関しては、以下リンクの記事で詳しくご紹介しています。

【豊楽寺】山間部の大豊町にある杮葺きが引き継がれる高知県唯一の国宝建築物「薬師堂」

【土佐神社】入蜻蛉様式の本殿・幣殿・拝殿は国指定重要文化財で注目の古建築

【29番札所国分寺】国指定重要文化財のこけら葺きの本堂と歴史ある楼門式仁王門

【31番札所竹林寺】杮葺の屋根が美しい本堂と本式塔建築で再建された五重塔

300年ほど前の江戸時代中期の記録では、高知県には神社がおよそ2,700社、お寺はおよそ900寺あったと残っています。しかし、明治維新の廃仏毀釈によってその8割が失われました。

建築物以外の国宝は、古今和歌集など2件、国指定重要文化財は67件あり、竹林寺や金剛頂寺などの古い仏像が複数指定されていますが、そのうちのいくつかは秘仏で、目にすることができる機会は極めて少ないです。

 

高知県の地域性

高知県は四国の南部に位置し、南側を太平洋に面しています。北側の四国山地と南側の土佐湾にはさまれて、弓状の形状をしていて、その両端は室戸(むろと)岬と足摺(あしずり)岬で、それぞれに四国八十八ヶ所霊場の24番札所最御崎寺38番札所金剛福寺があり、前の札所との距離が非常に長い難所になっています。
平地は少なく、物部川、国分川、 鏡川、仁淀川の下流に広がる高知平野、四万十川下流の中村平野、安芸川下流の低地などに限られています。 高知平野は古くから政治・経済・文化の中心地で人口も多く工業も盛んでしたが、地場産業中心で近代工業化は進展していません。
四国山地の山間部は、傾斜地で焼畑による耕地化が進められました。林業を主とする山村が多く、過疎化が進んでいます。
長い海岸線に沿って漁業が発達し、特に土佐清水や室戸などの漁港では、遠洋マグロ船が南太平洋、インド洋、大西洋にまで出漁しています。

古代律令制のもとで、中央から派遣された土佐国司の中で有名なのは、歌人の紀貫之(きのつらゆき)です。930年から4年間国司を務め、任期終了後に土佐から京へ帰るまでの約50日間の旅行を記録したのが 『土佐日記』 です。
鎌倉時代に守護が次々に代わり、室町時代になると細川氏が勢力を伸ばしました。やがて土着豪族の長宗我部(ちょうそかべ)氏が優勢となって土佐を統一し、さらには四国全域をも支配しましたが、豊臣秀吉に敗れました。
江戸時代には山内氏の土佐藩24万2,000石と、その支藩がありました。明治維新の廃藩置県で高知県が置かれ、1876年に名東県(みょうどうけん)が廃止されて高知県に合併されましたが、1880年に徳島県が分離されて、現在の高知県ができました。

高知県を舞台にした文学や映像作品は多く、司馬遼太郎(しばりょうたろう)の「竜馬がゆく」、「功名が辻」はNHK大河ドラマにもなっています。作家では「パルタイ」の倉橋由美子(くらはしゆみこ)が高知県出身で、元日本文化庁長官の三浦朱門(みうちしゅもん)は旧制高知高等学校に在校していました。植物学の牧野富太郎(まきのとみたろう)は高知県佐川町出身で、2023年のNHK連続テレビ小説のモデルです。高知県出身のタレントなどでは広末涼子や島崎和歌子がよく知られていますが、意外なところでいくと漫才の西川きよしと横山やすしは共に高知県で生まれています。

四万十川_沈下橋

四万十川にかかる沈下橋。高知県には豊かな水をたたえる清流がいくつもあります。

 

高知県は四国山地に隔てられた地形特性もあり、四国の中でも特徴ある独自の文化や産業が発達してきた歴史があります。江戸時代後期や明治・大正期には後の世に大きな影響を与える知恵者を多数輩出しました。お遍路においては、太平洋に面した長い海岸を歩む難関地域ではありますが、南国気質の地元の人たちがあたたかく迎え入れてくれる土地柄でもありますので、雄大な自然を楽しみながら進まれてください。

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この記事を書いた人

建築・不動産・旅のテーマが得意なライター。社寺系ゼネコンに勤務経験があり、四国八十八ヶ所霊場の札所建築物の改修工事に携わったことがあります。仏教に興味があり、2022年には四国のお遍路巡礼もしました。ライターとは別名義で作家として小説も書いています。