【神谷神社】香川県内で現存最古の建築物とされる檜皮葺の本殿は国宝

香川県坂出市にある「神谷神社」の本殿は、鎌倉時代初期の建立と伝わり、香川県内で現存最古の建築物とされています。檜皮葺が屋根が現代にも受け継がれる貴重な史跡は国宝に指定されています。

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「神谷神社」とは

「神谷神社(かんだにじんじゃ)」は、延喜式に登載された古社で、祭神は火結命(ほむすびのみこと)、奥津彦命(おくつひこのみこと)、奥津姫命(おくつひめのみこと)と春日四神といわれる経津主神(ふつぬしのかみ)、武甕槌神(たけみかづちのかみ)、天児屋命(あめのこやねのみこと)、姫大神(ひめおおかみ)です。弘仁3年(812年)に空海の叔父である阿刀大足(あとのおおたり)が勧請または再興したと伝わりますが詳しい沿革は不明です。

本殿は香川県内にある国宝建築物2件のうちのひとつで(他に70番札所本山寺の本堂)、国指定重要文化財として鎌倉時代初期の阿吽一対の立像である木造随身立像があります。
※70番札所本山寺の本堂に関しては、以下リンクの記事で詳しくご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

【70番札所本山寺】鎌倉様式を現代に伝える国宝の本堂と重厚な仁王門と伸びやかな五重塔の対比

アクセスはJR予讃線の鴨川駅から北へおよそ3km、または坂出駅から琴参バスで高屋南バス停下車です。遍路道中においては、80番札所国分寺81番札所白峯寺82番札所根香寺がある五色台という台形の山並みの西の麓にありますので、お遍路さんにもぜひ立ち寄ってみていただきたいです。

 

鎌倉時代初期建立の檜皮葺が受け継がれる国宝の本殿

国宝指定の神谷神社本殿は、三間社流造(さんげんしゃながれづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)です。棟木(むなぎ)の銘から鎌倉時代初期の建保7年(1219年)の建立とみられ、年代の判明した流造の神社本殿としては最古の遺構です。蟇股(かえるまた)などの装飾的細部を用いない古式を伝えています。

神谷神社_本殿

華美な装飾がない潔い姿の神谷神社の本殿。

檜皮葺とは、ヒノキの樹皮を重ねて屋根を作っているもので、耐用年数はおよそ20年から30年です。800年の歴史がありますので、30回くらいは葺き替えられてきたことでしょう。切妻タイプのシンプルな形状ではありますが、両側の箕甲(みのこう)は深く、職人さんの高いスキルが必要な屋根です。
※寺社建築の屋根の種類や特徴に関しては、以下リンクの記事で詳しくご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

【寺院建築の楽しみ方④】屋根の種類とその形状からわかること

檜皮葺は伝統的な屋根の葺き方のひとつですが、高いスキルが求められることやコストがかかることなどから近年は減少しており、職人さんも少なくなっています。
国宝や国指定重要文化財などは創建当時の仕様を継承していないと指定から外れます。しかしランニングコストなどの面から、指定が外れても瓦や銅板に仕様変更するというケースもあり得るため、「応急処置的に一時的に銅板に変えるが、いずれは檜皮葺きに戻す」という形をとって指定を続けるという苦肉の策も出てきています。

 

2022年の落雷での火災

2022年9月27日正午頃、神谷神社は落雷による火災に遭い、本殿の屋根が大きく燃えてしまいました。関係者の方々の懸命な消火活動により、同日16時30分には鎮火しましたが、半分以上の檜皮が燃え尽き、下地の木材も炭化してしまいました。ただ、今のところ屋根のみの被害で、国宝の指定に影響が出ることはないようです。

古い建築物が失われる原因でいちばん多いのが火事です。火の不始末や放火、今回のような落雷などによりますが、神谷神社のように約800年の間一度も落雷に遭わなかったのが奇跡的なことだともいえます。

画像などでの被害状況を見る限りですが、桁や天井より上の小屋組み、屋根組みをいったん全解体して作り直せば再建できそうですが、それなりの費用はかかりそうです。
落雷によって燃えたのは、屋根が檜皮だったから燃えやすかったということはあるかもしれません。瓦や銅板といった不燃材なら燃え広がることはなかったかしれません。雷は必ずしも高い樹木や金属に落ちやすいとはいえないことがわかってきています。神谷神社もまわりには高い木がありますが、それよりも低いはずの本殿に落ちています。屋根を金属の銅板にすると雷が落ちやすくなるのではないかというイメージがありますが、それはどうやら間違っているようです。

いずれにしても、神谷神社の本殿は香川県で2件しかない国宝建築物のひとつですので、なんとか再建して欲しいと願うばかりです。

 

都のエリート官僚だった空海の叔父「阿刀大足」

神谷神社の創建に関わったとされる阿刀大足(あとのおおたり)は、空海の母方の叔父です。空海が善通寺から上京する際にはこの叔父さんが同行していたともされ、論語・漢学・史伝・中国語などの個人指導を行ったことが、のちの空海の著書「三教指帰(さんごうしいき)」などから知られています。
何の実績もなかった若き空海が遣唐使団に加わるにはこの叔父さんの根回しや援助があったといいます。ただ、叔父さん本人は中国へ行くのを船の難破が恐くて嫌がっていたといいます。
京都市右京区嵯峨野に残る阿刀神社は平安遷都の際に移されたと伝わる阿刀氏の氏神です。

 

神谷神社の本殿は国宝に指定されている貴重な古建築物です。落雷の被災がありましたが、かつての姿に再建されることを願ってやみません。約800年の期間、脈々と受け継いできた先人の努力も想像しながら、ぜひご参拝ください。

 

【「神谷神社」 地図】

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この記事を書いた人

建築・不動産・旅のテーマが得意なライター。社寺系ゼネコンに勤務経験があり、四国八十八ヶ所霊場の札所建築物の改修工事に携わったことがあります。仏教に興味があり、2022年には四国のお遍路巡礼もしました。ライターとは別名義で作家として小説も書いています。