愛媛県には四国八十八ヶ所霊場の40番札所から65番札所があり、悟りを開く段階になるということから「菩提の道場」と呼ばれています。愛媛県内にある神社仏閣からその成り立ちや歴史をひもとき、地域性を解説します。
愛媛県の神社仏閣からひもとく歴史
愛媛県は昔、伊予(いよ)や愛比売(えひめ)とよばれていました。現在、愛比売命を祀る伊予市の伊予神社と松前町の伊予神社はともに名神大社・伊予神社の論社です。主祭神は前者が弥邑神(いよむらのかみ) 、後者が伊予国を治めた彦狭島命(ひこさしまのみこと) です。弥邑神は御谷山の夕日の面に祀られ、朝日の面には天照大神が鎮座、山頂には大山積神(おおやまつみのかみ)が天御中主神(あめぬみなかしのかみ)を祀ったといいます。
大山積神は伊予一宮の大山祇(おおやまづみ)神社の主祭神です。同社は瀬戸内海に浮かぶ国名勝の大三島(おおみしま)に鎮座し、日本総鎮守や三島大明神と崇められてきました。全国1万社余りの大山積神を祀る神社の総本社であり、昔は四国八十八ヶ所霊場の55番札所でもありました。神体山の安神山(あんじんさん)には石鎚神社の祠があり、鎖場も設けられています。祠は西日本の最高峰である石鎚山(いしづちさん)に向いています。
石鎚山は日本七霊山のひとつで、山頂の弥山(みせん)には石鎚神社の頂上社が鎮座しています。山岳修験の霊場となり、金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)や子持権現(こもちごんげん)が祀られました。山中には石鎚神社成就社や奥前神寺(おくまえがみじ)、四国八十八ヶ所霊場の60番札所横峰寺、山麓には石鎚神社本社や四国八十八ヶ所霊場の64番札所前神寺などがあります。
松山市の宝厳寺(ほうごんじ)は捨聖(すてひじり)と崇められた一遍房智真(いっぺんほうちしん)の生誕地とされます。一遍は河野氏の一族で、久万高原町(くまこうげんちょう)の四国八十八ヶ所霊場の45番札所岩屋寺や長野県の善光寺で修行し、和歌山県の熊野本宮で時宗を開き、全国を遊行して人々に踊念仏(おどりねんぶつを)勧めました。
一遍以前にも伊予は別当大師光定(べっとうだいしこうじょう)という偉人を輩出しています。光定は京都府の比叡山延暦寺を30年以上も護持したことから「天台宗を開いたのは最澄、天台宗を築いたのは光定」と称されました。松山市の仏性寺は光定が両親の菩提追善のために開いたと伝わります。
宇和島市の和霊神社では例祭で闘牛大会が開催され、走り込みや鬼面獣身の牛鬼の山車が見所となっています。
愛媛県の古建築物・文化財
愛媛県には建築物の国宝は3件、国指定重要文化財は50件近くあります。このうち松山市には大宝寺の本堂の他、四国八十八ヶ所霊場の51番札所石手寺の仁王門、52番札所太山寺の本堂があります。また、伊佐爾波(いさにわ)神社、松山城、道後温泉本館など松山市には国宝と国指定重要文化財が多くのこっています。また、今治市の乗禅寺にある石仏群など珍しいものもあります。
※大宝寺、石手寺、太山寺、道後温泉の文化財に関しては、以下リンクの記事で詳しくご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【大宝寺】戦火をくぐり抜けた愛媛県内最古の木造建築とされる国宝の本堂
【51番札所石手寺】国宝の仁王門をはじめ多くの建築物が重要文化財
【52番札所太山寺】鎌倉時代の様式美を現代に伝える大迫力の本堂と仁王門
【道後温泉】公衆浴場としては日本で初めて国の重要文化財に指定された道後温泉本館
【乗禅寺】密教の世界観を表す国指定重要文化財の石塔群とサッカー・長友佑都選手とのご縁
仏像などの彫刻や絵画、武具類などの美術工芸品の国宝は9件、国指定重要文化財は100件あります。
瀬戸内海の中央に位置する大三島の大山祇神社には多くの文化財がのこっています。大山祇神社は古代豪族の越智氏とその流れをくむ河野氏に信仰され、武神・海神として広く崇敬を集めたため武具や刀剣が多く奉納されました。それが現在は国宝や国指定重要文化財になっていて、刀剣や武具以外にも古文書や扁額(へんがく)、鏡などの名品が揃っています。
愛媛県の地域性
愛媛県は中央構造線が瀬戸内海側を東西に走り、また四国山地が県内の北部に偏っているため平野は少なく、山地が多くなっています。主な平野は瀬戸内海沿岸の新居浜平野、今治平野、松山平野です。
県東部の今治市から四国中央市にかけては重化学工業が発達し、特に地場産業の手漉き和紙生産から機械漉き、パルプ洋紙生産が発展しました。県央部の松山市には四国地方の行政情報機能が集中し、 四国内での人口最大の都市となっています。県西部の宇和海沿岸は海岸景観の美しい地で、真珠やハマチの養殖、沿岸漁業が盛んです。またミカン栽培が普及して、全国でも屈指の生産量を誇っています。
歴史的には、古代律令制の衰退とともに武士団が形成され、海上を縦横に移動する海賊の動きも活発となりました。平安時代後期の939年に東国で平将門の乱が起きると、藤原純友(ふじわらのすみとも)は海賊たちを率いて乱を起こしました。しかし2年後に鎮圧されました。この時に活躍した勢力が、後に村上水軍などの海賊衆となりました。
鎌倉時代から室町時代にかけて河野氏が勢力を伸ばしましたが、戦国時代には衰退し、土佐の長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の支配下に入りました。江戸時代には松平氏の松山藩15万石のほかに、七つの中小藩が置かれました。明治維新の廃藩置県で各藩に県が置かれた後、1873年に愛媛県に統合されました。1876年に香川県が併合されましたが、1888年に香川県が分離されて、現在の愛媛県となりました。
愛媛県出身者として、この30年間で大江健三郎(1994年ノーベル文学賞)、中村修二(2014年ノーベル物理学賞)、真鍋淑郎(2021年ノーベル物理学賞)の3人のノーベル賞受賞者を輩出しています。
文学では夏目漱石の「坊っちゃん」があまりにも有名ですが、他にも司馬遼太郎「坂の上の雲」など、ドラマや映画の原作にもなっている著名なものがたくさんあります。
その他、劇作家の鴻上尚史(こうかみしょうじ)は新居浜市、書家の紫舟(ししゅう)は四国中央市、芸能方面では叶美香は西条市、芸人の友近は松山市、歌手のSuperfly・越智志帆は今治市の出身です。また、プロサッカー選手の長友佑都選手は西条市の出身です。
四国内で建築文化財がもっとも多くのこっているのが愛媛県です。西予、中予、南予とエリアによって地形や景観に変化があり、それぞれの地域に特徴的な伝統文化や特産品などがありますので、お遍路道中に存分に楽しんでいただきたいと思います。