香川県には四国八十八ヶ所霊場の66番札所から88番札所があり、煩悩が消え、結願へと向かう段階になるということから「涅槃の道場」と呼ばれています。香川県内にある神社仏閣からその成り立ちや歴史をひもとき、地域性を解説します。
香川県の神社仏閣からひもとく歴史
香川県は、かつては讃岐(さぬき)と呼ばれ、古代に讃岐の忌部(いんべ)と阿波の忌部が麻を植えて開拓したと伝わり、観音寺市の粟井(あわい)神社が香川県で最古の社ともいわれます。讃岐忌部の祖・天太玉命(あめのふとたまのみこと)を祀り、刈田大明神とも称しました。
香川県の名神大社は他に2社あり、坂出市の城山(きやま)神社は、讃岐国府の近くで讃岐国造祖の神櫛別命(かみくしのみこと)を祀り、高松市の田村神社は讃岐一宮とされ、四国八十八ヶ所霊場の83番札所一宮寺がかつては別当をつとめていました。讃岐二宮は三豊市の大水上(おおみなかみ)神社、三宮はさぬき市の多和(たわ)神社とされています。
日本に密教を伝え、真言宗や高野山を開いた弘法大師空海は現在の香川県の出身です。善通寺市にある四国八十八ヶ所霊場の75番札所善通寺が生誕地とされ、現代にも続く四国の遍路文化の礎を築いたとも伝わっています。
空海の甥と伝わる智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)も香川県の出身で、四国八十八ヶ所霊場の76番札所金倉寺で産まれ、天台密教を大成、比叡山延暦寺の座主に上り、天台密教の修験道である本山派の祖とされました。
真言密教の修験道である当山派の祖とされる理源大師聖宝(りげんだいししょうほう)も、一説には香川県の出身で、丸亀市の正覚院(しょうかくいん)で誕生したと伝わります。
このように讃岐は、密教や修験道における重大な聖地であるため、四国4県の中ではもっとも小さい面積であるにも関わらず、四国八十八ヶ所霊場の札所が23か所も密集しています。さぬき市にある88番札所大窪寺は四国八十八ヶ所霊場を締め括る重要な札所で、特別に結願所(けちがんしょ)ともよばれています。また、東かがわ市にある與田寺(よだじ)は、四国八十八ヶ所霊場の総奥の院とも称され、かつては88番札所で結願した多くのお遍路さんが、最後の締めくくりとして参拝していました。
江戸時代には、琴平町にある金刀比羅宮(ことひらぐう)が海上安全の神として崇敬を集め、大衆の社寺参りが国内で流行したことで、全国から多くの参拝者が訪れ、門前町も大きく発展しました。
香川県の古建築物・文化財
香川県の建築物の国宝は2件あります。三豊市にある四国八十八ヶ所霊場の70番札所本山寺の本堂と、坂出市にある神谷神社の本殿です。
※本山寺本堂と神谷神社の本殿に関しては、以下リンクの記事で詳しくご紹介していますので、ぜひこちらもご覧ください。
【70番札所本山寺】鎌倉様式を現代に伝える国宝の本堂と重厚な仁王門と伸びやかな五重塔の対比
【神谷神社】香川県内で現存最古の建築物とされる檜皮葺の本堂は国宝
国指定重要文化財は27件、建築物では四国八十八ヶ所霊場の80番札所国分寺の本堂や84番札所屋島寺の本堂、丸亀城の天守などがあります。
書や彫刻、絵画などの美術工芸品の国宝は4件、国指定重要文化財は88件です。
金刀比羅宮には多数の文化財が収蔵され、他に四国八十八ヶ所霊場では75番札所善通寺と86番札所志度寺に国宝と国指定重要文化財があります。
※金刀比羅宮、善通寺、志度寺の文化財に関しては、以下リンクの記事で詳しくご紹介していますので、ぜひこちらもご覧ください。
【金刀比羅宮】名高い絵師の障壁画がのこされている書院と現存最古の芝居小屋
【75番札所善通寺】弘法大師空海生誕の地の大規模な寺院建築と貴重な歴史的価値のある宝物
【86番札所志度寺】江戸時代初期建立の国指定重要文化財の本堂・仁王門と昭和時代建立の五重塔
香川県の地域性
香川県の地形は、南側には讃岐山脈が東西に走り、南から北へ、山地、平野、島嶼の大きく三つの部分にわけられます。讃岐山脈から発して北流する河川によって、広大な讃岐平野が形成されました。面積は47都道府県の中でもっとも小さいですが、海・山・平野と豊かな土地柄で、瀬戸内式の温暖で雨が少ない過ごしやすい気候も特徴です。
県東部にある城下町高松は、瀬戸内海を渡る宇高連絡船(うこうれんらくせん)が四国と本州を結ぶメイン交通手段であった明治時代後半から昭和時代前半にかけて、四国の表玄関としてビルの林立する近代都市となりました。
県中西部では、かつての塩田跡や埋め立てた海岸に工業地帯が広がって、近代工業化が進んでいます。昭和63年(1988年)に瀬戸大橋が開通して四国の入口となり、四国を縦断する高速道路も整備されて、都市周辺で人口が増加しました。
香川県は海路では畿内に近いことから、讃岐平野では早くから開発が進み、古代には法隆寺や石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)などの荘園がありました。平安時代末期に屋島で源平の戦いが展開され、 佐藤継信(さとうつぐのぶ)の主君・源義経を守っての戦死や、那須与一(なすのよいち)の扇の的の話は長く後世に語り伝えらています。室町時代には細川氏が勢力を伸ばしましたが、後に安富氏、 香川氏、 香西氏などが勢力争いをしました。戦国時代には土佐の長宗我部元親(ちょうそがべもとちか)が侵入しましたが、豊臣秀吉に敗れました。江戸時代には三つの中小藩と、小豆島など島嶼部に天領がありました。
明治維新の廃藩置県後に香川県が置かれましたが、明治6年(1873年)に徳島県とともに名東県に合併されました。明治8年(1875年)に再び香川県が設置されましたが、翌年に愛媛県に統合されました。明治21年(1888年)に愛媛県から現在の香川県が分離し、現在の47都道府県のうちで一番最後に成立した県です。
高松市の栗林公園は、国の特別名勝に指定された回遊式大名庭園で、江戸初期の約400年前の形式を残し、文化財の庭園としては国内最大級の貴重な史跡が、今なお美しく整備されています。
瀬戸内海に浮かぶ、オリーブで有名な小豆島を舞台にした小説や映像作品は多く、壷井栄「24の瞳」や角田光代「八日目の蝉」が映画化されています。
香川県は狭い面積でありながら、昔から豊かな風土が育まれ、都と距離が近いこともあり、高度な文化的・宗教的背景をもつことで、弘法大師空海をはじめとした多くの名僧など著名人もたくさん輩出しています。四国八十八ヶ所霊場巡礼においてはしめくくりの場所で、名刹もありますので、先を焦らず、じっくりと巡ってみてください。