高知県高知市にある土佐神社は、国指定重要文化財が多くのこる土佐の一宮です。かつては別当を務めた30番札所善楽寺がすぐ隣にあり、お遍路道中でも立ち寄りやすい立地ですので、ぜひ貴重な文化財を拝観してみてください。
長い歴史をもつ土佐の一宮「土佐神社」
高知県高知市にある土佐神社は、創建時期ははっきりしませんが、少なくとも飛鳥時代にはすでにあったようで、とても長い歴史をもっており、土佐の一宮として崇敬を集めてきました。
ご祭神は味鉏高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)と一言主神(ひとことぬしのかみ)で、産業の繁栄の神さまですが、家内安全、農産繁栄、建設安全、交通安全、病気平癒など幅広いご利益があります。また祭事としては土佐三大祭のひとつとして知られる大祭「志那禰祭(しなねまつり)」が古代から続いています。
近くには四国八十八ヶ所霊場の30番札所善楽寺があります。明治維新の廃仏毀釈までの神仏習合の時代には、神社の神職を兼ねた別当の役割を果たしていました。
高知市街地の北東に位置していて、最寄駅のJR土佐一宮駅より徒歩で約19分、とさでん交通バス一宮東門バス停より徒歩で約4分でアクセスできます。
トンボの形のように接続された国指定重要文化財の本店・幣殿・拝殿
現在の社殿は、長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)が1571年に本殿・幣殿・拝殿を再建し、その後江戸時代前期に山内忠義(やまうちただよし)が造立した鼓楼と楼門がのこっており、それぞれの建築物が国の重要文化財に指定されています。
本殿は桁行5間、梁間4間の入母屋(いりもや)造で柿葺(こけらぶき)、前面に3間の向拝(こうはい)が付きます。内部には正面3間、側面1間の内殿があります。本殿南側に、十字型に交差した幣殿・拝殿が隣接しており、幣殿を頭、拝殿を羽根と尾に見立てて、トンボが羽根を広げて本殿に入るような形をしていることから入蜻蛉様式(いりとんぼようしき)ともいわれます。
※寺社建築の屋根の種類や特徴に関しては、以下リンクの記事で詳しくご紹介していますので、ぜひこちらもご覧ください。
本殿に接する幣殿は桁行1間、梁間3間で、南側に一段屋根の高くなった方1間の拝殿が接続しています。拝殿からさらに南側へ拝出と呼ばれるトンボの尾の部分が縦に7間分伸びています。拝殿横の左右には、それぞれ長さ5間分の左右翼が伸びます。つまり高屋根の拝殿を中心に、北に幣殿、東西に左右翼、南に拝殿が、それぞれ4方向に突き出るという平面プランなのです。
床は、拝出から拝殿、幣殿へとそれぞれ一段ずつ高くなり、また天井は、拝出や左右翼については化粧垂木(けしょうたるき)の見える化粧屋根裏、 幣殿は折上小組格天井(おりあげこぐみごうてんじょう)の中央に竜の絵画を描いて、変化を見せています。十字型の幣殿・拝殿としては特異な社殿です。
また、全体に神社の様式として一般的な千木(ちぎ)や鰹木(かつおぎ)といった屋根の上の飾りはなく、棟や鬼が取り付けられ、特に本殿は入母屋屋根になっていますので、全体的に寺院建築に近いイメージがあります。
※寺社建築の装飾に関しては、以下リンクの記事で詳しくご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
本殿は神社にしては大きめの造りになっています。神社の本殿はお寺の本堂と比べると小さいことが多く、本殿より拝殿のほうが大きくなっていることがほとんどです。お寺の本堂には仏さま、神社の本殿には神さまが祀られているわけですが、神社の本殿が小さいのには理由があります。神社の神さまは通常は人間の目に触れることはなく、遷座や遷宮の際は隠して行われ、しかも暗くなった夜に行っています。つまり、神さまと同じ空間に入ることが想定されていないため、ご神体のみを安置するということで、広い空間は必要ないのです。そして必然的に本殿の前に人間が奥にあるご神体を拝むための拝殿が設置される流れになりました。
蛇足ですが、雨漏りの原因でもっとも多いのは屋根と屋根が緩衝する「谷」になる部分です。お寺と神社とで雨漏りで困っている割合は、実は神社のほうが圧倒的に多くなっています。つまり本殿と拝殿が繋がっていることが多く、繋がっているということはそこに屋根と屋根との緩衝部分ができることが多いからです。
土佐神社は土佐一宮として長く崇敬を集め、国指定重要文化財の本殿・幣殿・拝殿の複雑な接続状態やいろいろな装飾は一見の価値ありです。すぐ隣の30番札所善楽寺とあわせての拝観をおすすめします。
【「土佐神社」 地図】