徳島県には四国八十八ヶ所霊場の1番札所から23番札所があり、多くのお遍路さんが徳島県から遍路旅を始めることから「発心の道場」と呼ばれています。徳島県内にある神社仏閣からその成り立ちや歴史をひもとき、地域性を解説します。
徳島県の神社仏閣からひもとく歴史
徳島県は昔は阿波(あわ)国とよばれ、さらに古くは北の粟国と南の長国にわかれていたと伝わっています。北の粟国の中心は現在の石井町の中王子神社付近と思われ、同社には阿波国造の墓碑が残っています。南の長国は那賀川が中心とされ、上流域には四国八十八ヶ所霊場の20番札所鶴林寺や21番太龍寺があります。
阿波国の中心は名神大社(みょうじんたいしゃ)の忌部(いんべ)神社が鎮座した付近ともいわれますが、その場所ははっきりしていません。 麻殖郡忌部郷(おえぐんいんべごう)という地名がのこる現在の吉野川市の忌部山古墳の北麓あたりが有力で、忌部神社も鎮座しています。 忌部神は繊維系の麻殖神(おえのかみ)で、梶で白和幣(しらにきて)をつくったともされ、県北で生産が盛んだった麻や太布の産業との関連性もみえます。
阿波一宮とされる鳴門市の大麻比古(おおあさひこ)神社も阿波を開拓したとされる麻の神を祀り、名神大社です。今も徳島県総鎮守と崇められ、県内最多の初詣客を集めています。すぐ近くには四国八十八ヶ所霊場の1番札所霊山寺もあり、徳島県の顔的存在になっています。
ただし、古代の阿波一宮は鮎喰川(あくいがわ)上流に鎮座する神山町の上一宮大粟(かみいちのみやおおあわ)神社ともされ、参拝するのに不便なため下流の国府近くに分祠されたのが徳島市一宮町の一宮神社といいます。 阿波国府は旧国府町の四国八十八ヶ所霊場16番札所観音寺がある一帯と推定され、お寺の境内には阿波国総社宮もあります。旧国府町には四国八十八ヶ所霊場15番札所国分寺もあり、同じく阿波一宮の論社である八倉比売(やくらひめ)神社もあり、当時の阿波国の中心地であったとされています。
鮎喰川を遡り、川井峠を越えると徳島県を象徴する剣山(つるぎさん)の表口に至ります。 剣山は西日本で2番目に標高が高い山で(1番は愛媛県の石鎚山)、昔は立石山とよばれましたが、安徳天皇が平家再興を願って天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を納めて以来、剣山と称されたといいます。修験道場として栄え、劔山大権現と崇められましたが、修験道廃止令で衰亡し、山津波で多くの行場も失われました。 大剣(おおつるぎ)神社の別当であった美馬市の龍光寺や金剛院藤之池本坊(こんごういんふじめいけほんほう)が往時の痕跡を留めています。
日本最大の盆踊りと名高い阿波踊りは、徳島藩祖の蜂須賀家政(はちすかいえまさ)が徳島城の完成祝いに奨励したと伝えられ、開幕に先立って家政の菩提寺である徳島市の臨済宗妙心寺派・興源寺で毎年奉納踊りを披露して成功を祈っています。
徳島県の古建築物
徳島県には国宝の建築物はなく、18件の国指定重要文化財があります。
約400年前、戦国時代に徳島県に侵攻した長宗我部元親により、四国八十八ヶ所霊場66番札所雲辺寺を除いてほとんどのお寺を焼き払ったといわれています。そのため江戸時代よりも前の古い寺院建築はほとんど残されていません。
寺院建築では、以下リンクの記事でご紹介している丈六寺と箸蔵寺に残っているもので、国指定重要文化財の半分を占めており、他は神社に数件、あとは民家で古くから残っているものになります。
【別格15番札所箸蔵寺】江戸時代に再建された建造物から当時の隆盛を想像する
徳島県の地域性
徳島県の地形は、県北部を東西に走る中央構造線をはさんで、北側に讃岐山脈、南側に四国山地・ 剣(つるぎ)山地がそれぞれ東西にのびています。中央構造線に沿って吉野川が西から東へと流れ、中下流域で徳島平野が広がっています。平地は乏しく、県内のほとんどを山地が占めています。
藍、タバコ、塩の三大特産物を背景に、城下町にあたる現在の徳島市中心市街地は、江戸時代には四国最大の都市として栄えました。しかしその後、化学染料の出現、近代工業化の遅れにより、経済力は衰退しました。県東部の臨海地帯では軽工業を主体とする工業化が進み、その一方で、阪神市場向けの近郊農業が盛んになりました。
県西部は他地域から隔絶して自給的性格が強く、人口が流出して過疎が深刻化しています。
太平洋沿岸の県南部では、かつて遠洋漁業が盛んでしたが、現在は沿海漁業や遊漁業が主流となっています。
近世までは、都のある畿内と西国を結ぶ本州の山陽道に対して、 南海道として裏街道のような役割を果たしました。
源平争乱時に源義経は小松島に上陸し、 大坂峠を越えて現在の香川県の屋島に向かい、平氏を破りました。
南北朝時代には、剣山北麓の南朝方の山岳武士の奮闘により、南朝は吉野から九州の阿蘇菊池氏へ連絡を取れたといわれています。
鎌倉時代には小笠原氏、室町時代には細川氏が勢力を伸ばしました。
戦国時代には土佐の長宗我部元親が侵入しましたが、豊臣秀吉が四国へ出兵して長宗我部氏を破り、秀吉の家臣である蜂須賀氏が新しい領主となりました。 蜂須賀氏は現在の徳島市中心市街地に徳島城を築き、江戸時代には徳島藩25万7,000石の藩主となりました。
明治維新の廃藩置県後に阿波国・讃岐国・淡路国を範囲とした名東県(みょうどうけん)が設置され、当時は香川県と淡路島も含まれていました。1875年に香川県が再設置されると、翌1876年に名東県が廃止されて高知県に併合され、淡路島は兵庫県に編入されました。1880年に高知県から現在の徳島県が分離されました。
徳島県出身の著名人は創作やアーティスト系が多く、作家で僧侶の瀬戸内寂聴のほか、漫画家でエッセイストの柴門ふみ、シンガーソングライターの米津玄師やアンジェラ・アキも徳島県出身です。
徳島県には古代の言い伝えがたくさんあり、現代の神社仏閣からも長い歴史の一端を垣間見ることができます。都に近い立地から、産業面や軍事面などで都と深く関係し、西国への経由地としても重要な役割を果たしてきました。お遍路道中でもこのような歴史や地域性を知ることができる史跡や名所がありますので、ぜひお立ち寄りください。