83番札所一宮寺は、讃岐國一宮の「別当寺」でしたが、他の3県の一宮別当寺とは少し違う歴史を持ちます。お大師さまが戒めのためにつくったといわれる「地獄の釜」も要チェックです。
「仁王門」にまわりこんで境内へ
83番札所一宮寺の手前の遍路道では、香東川を渡る「沈下橋」がまさかの落橋中というトラブルもありながら、川沿い河川敷の気持ちの良い道を歩いてきました。
※一宮寺手前の遍路道の様子は、以下リンクの記事もぜひご覧ください。
【82番札所根香寺→83番札所一宮寺】香東川の「沈下橋」を渡るはずが…河川敷の遍路道を進む
一宮寺手前には高松南高校があり、ここからお寺はすぐなのですが、お寺の裏側から進んでいく形になり、裏からも境内に入ることができるようになっていますが(車遍路さんは駐車場に車をとめると、ほとんどの人が裏から境内に入ると思います)、お寺の東側にまわりこんで、ぜひ「仁王門」から境内に入ってください。
江戸時代初期に「別当寺」に任を解かれる
一宮寺はその寺名でもわかりやすく、讃岐國一宮の「別当寺」の役割を担っていました。
※「別当寺」に関しては、以下リンクの記事をご覧ください。
【30番札所善楽寺】土佐一宮「土佐神社」の「別当寺」としての混迷の歴史を学ぶ
これまでの遍路道で「別当寺」として創建されたお寺はたくさんありましたが、ここ一宮寺は他のお寺とは少し違った歴史を持ちます。縁起によると、奈良時代以前の大宝年間(701~704年)に奈良仏教の興隆の礎を築いた「義淵(ぎえん)僧正」が「大宝院」として創建したとのこと。「義淵僧正」は、四国霊場の札所になっているお寺の多くを創建した「行基菩薩」の師匠でもある高僧ですので、歴史の深さが偲ばれます。
その後、現在もお寺の隣にある讃岐國一宮である「田村神社」の別当寺の役割を担いますが、神社とお寺を同一視・混同されていたので、江戸時代初期の延宝7年(1679年)に時の高松藩主である松平頼常によって分割されたそうです。
別当寺が神社と分離されるのは、明治時代の神仏分離の際に行われたことが多く、それ以前の江戸時代に分割されている歴史は、これも珍しいことです。
悪いことをしている人は頭が抜けない「地獄の釜」
一宮寺の見どころとしてご紹介したいのが「地獄の釜」です。
本堂左側の小さな祠がそれで、薬師如来がまつられています。
この「地獄の釜」は、お大師さまが戒めのためにつくったといわれていて、この祠の中に頭を入れると境地が開けるといわれる一方で、悪いことをしている人が頭を入れると扉が閉まり、地獄の釜が煮えたぎる音がして、頭が抜けなくなるといわれているそうです。
昔、近所で暮らす意地の悪いおタネばあさんが「そんなことはない、試してみよう」と頭を入れると、扉が閉まり、ゴーという地獄の釜の音が聞こえ頭は抜けなくなったので、今までの悪事を謝ったところ、頭はすっと抜け、それから心を入れ替え親切になったという言い伝えもあるようです。
さすがに頭を入れるのはためらう祠ですが、「地獄の釜」だと思って見ると恐ろしくも見えてくるので、一宮寺参拝の際はチェックしてみてください。
83番札所一宮寺では、奈良時代以前創建の古い歴史や、お寺隣の「田村神社」との関係、「地獄の釜」のエピソードなど、事前情報を入手の上で参拝するとお寺の見え方が違ってくると思います。
広大で立派な讃岐國一宮「田村神社」の立ち寄りもオススメです。
【83番札所】 | 神毫山 大宝院 一宮寺(しんごうざん だいほういん いちのみやじ) |
宗派: | 真言宗御室派 |
本尊: | 聖観世音菩薩 |
真言: | おん あろりきゃ そわか |
開基: | 義淵僧正 |
住所: | 香川県高松市一宮町607 |
電話: | 087-885-2301 |