43番札所明石寺がある宇和町は、江戸時代に四国西部の要所として賑わった地域です。その中心地「卯之町」には当時の町家が多く残り、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
「卯之町」は江戸時代の四国西部の要所で重要伝統的建造物群保存地区
43番札所明石寺を参拝し、お寺山門脇の旧道を進むとほどなくして舗装路に出ると、左側に「宇和先哲記念館」があります。
この記念館には、宇和町ゆかりの偉人、西洋医学を日本に伝えたシーボルトの娘「楠本イネ」や蘭方医「二宮敬作」などの資料が展示されてます。
多くの偉人ゆかりの地であるここ「卯之町(うのまち)」は、昔から農業が盛んだった宇和盆地で収穫された作物や宇和檜の集散地として、また江戸時代には宇和街道の中継を担う宿場町として、さらに明石寺の門前町として、いろいろな機能を持つ四国西部の要所として発展した地域です。
宇和先哲記念館の向かい、進んできた道からすると右折方向を見ると、いきなりタイムスリップしたかのような街並みが視界に飛び込みます。
江戸から明治にかけて特に賑わった卯之町は、近代に入ってからは少し離れた場所に、現在の国道56号線や鉄道(JR線)が開発されたため、近代開発によって破壊されることなく、昔の建造物がそのまま残ることになったのです。
2009年12月に重要伝統的建造物群保存地区にも指定されています。
※ここまでの遍路道で同じく重要伝統的建造物群保存地区に指定されている「吉良川の町並み」に関する以下リンクの記事もぜひご覧ください。
【吉良川の町並み】備長炭の生産で栄えたまちは重要伝統的建造物群保存地区
ぜひこの道を通って、街並み観光を楽しむのがよいと思いますが、遍路地図「四国遍路ひとり歩き同行二人」には、明石寺から2つのルートが示されており、卯之町を通らず山中を進む遍路道もあるようなので、ご注意ください。
※私は山中の道には気づかず、道標に従って進むと卯之町に出てきました。
老舗「松屋旅館」と「宇和民具館」前の「丸型ポスト」
卯之町の街並みを進んでいくと、いくつか目立つ建物がありますが、ひとつめにご紹介したいのが、老舗「松屋旅館」です。
1809年建造の建物を改築しながら残している旅館には、多くの文人や政治家が訪れているそうで、そんな宿の名物は「漬物」だそうで、江戸時代からの糠床を継承し続けているとのことです。
上の写真にも「漬物定食」という、見たことのない定食名が、門前に堂々と掲げられています。
食事だけでも可能のようですし、宿泊はお遍路さん特別プランもあるようなので、街並み見学に飽き足らない方は老舗旅館を満喫するのもよいかもしれません。
※参考に松屋旅館のホームページリンクをはっておきます。
松屋旅館ホームページ: http://www.shikoku.ne.jp/matsuya/
ふたつめは、ここにもいらっしゃいました「丸型ポスト」です。
宇和町の各地域から集められた様々な生活用具が展示されている「宇和民具館」の前に鎮座しています。
※「丸型ポスト」に関しては、以下タグの記事をぜひご覧になってみてください。
この宇和民具館のすぐ近くには、明治時代に開設された私塾「申義堂」がルーツの四国最古の小学校「開明学校」の擬洋風建築校舎が残ってされており、この建物は国の重要文化財にも指定されていますので、お時間がある方はのぞいてみるとよいと思います。
卯之町の観光施設としては開明学校がメイン的な位置づけです。
【開明学校(卯之町周辺) 地図】
卯之町の先には文化財並みの遍路小屋
卯之町を過ぎて約2kmほど進んだ旧街道沿いに、こちらも文化財並みではないかと思うほど豪勢な遍路小屋があったので、あわせてご紹介しようと思います。
あまりに豪勢で敷地内に足を踏み入れるのをためらうほどでした。
小屋周辺の立派さはこの遍路小屋が一番だと思います。
小屋内写真に連絡先があるように、三好さんという方が建設してくださったようで、宿泊も可能のようです。
この先はしばらく休憩スポットがないので、この遍路小屋で休憩してから進むのがよいと思います。
【宇和町坂戸 三好さんの遍路小屋 地図】
明石寺近くの卯之町で、遍路旅2度目の重要伝統的建造物群保存地区との出会いがあり、文化財並みのありがたい遍路小屋も見つけることができた西予市宇和町の遍路道でした。