開創は6世紀前半と伝わる長い歴史をもつ43番札所明石寺の多くのお堂は明治に建築されたものが残っており、国の登録有形文化財に指定されているものが多数あります。建築物の数々に重厚な歴史を感じるお寺でした。
お寺手前の奥の院「白王権現」は「かろくあげ石」
42番札所仏木寺から歯長峠の通行止めを迂回して、西予市宇和町に入り、「道の駅どんぶり館」で休憩をとり、約2km先の43番札所明石寺(めいせきじ)を目指します。
※歯長峠と「道の駅どんぶり館」の様子は、以下リンクの記事もぜひご覧ください。
【42番札所仏木寺→43番札所明石寺】通行止めの「歯長峠」を迂回して「道の駅どんぶり館」でひと休み
宇和高校がある県道237号から山に上がっていく方向に進みますが、明石寺までの遍路道途中に43番奥の院「白王権現(はくおうごんげん)」があります。
ここには大きな石の御神体があり、「宇和旧記」によると「十八、九の娘が、軽々と大石を両腕に抱き歩いていたが、当所まで来たとき夜が明けてしまったので、そのまま置き去ってしまった。その女は観音の化身か龍女か、その石を白王権現と崇め、祠を奉った」とあり、43番御詠歌「聞くならく千手の誓いふしぎには大盤石もかろくあげ石」もこの伝説と関連しているようで、このことから元々は「あげいしじ」の寺名で、地元の方は「明石寺」のことを「あげいしさん/あげしさん」と呼ぶ方もいらっしゃるそうです。
私は奥の院を見逃してしまったのですが、遍路道途中で長い距離をそれるわけではないので、立ち寄ってみるのもよいと思います。
ちなみに明石寺までの登り坂は地味にきついです。
開創は6世紀前半の古墳時代の長い歴史
明石寺の開創は、6世紀前半の古墳時代までさかのぼるといわれていて、欽明天皇(在位532〜71年)の勅願により、円手院正澄という行者が唐からの渡来仏であった千手観音菩薩像を祀るため、この地に七堂伽藍を建立して開創したのが起源とされているそうです。
これだけ歴史あるお寺なので、その時代時代によって有力者からの信仰を集め、奈良時代には寿元行者が熊野より十二社権現を勧請し修験道の中心道場とし、平安時代には空海が嵯峨天皇に奏上して勅命を受け、金紙金泥の『法華経』を納めて、諸堂を再興したとされています。
また、鎌倉時代には源頼朝が命の恩人である池禅尼の菩提を弔って阿弥陀如来像を奉納、経塚を築いていたり、その後は武士からの帰依もあつく、室町時代には領主・西園寺家の祈願所として、また江戸時代には宇和島藩主・伊達家の祈願所となり、隆盛を誇ったそうです。
このような歴史があったからか、現存するお堂は明治時代建造のものが数多く残っており、国の有形文化財に指定されているものがたくさんあります。
私のような素人が見ても、その重厚さから歴史の深さを感じるお堂の数々でしたので、写真でご紹介したいと思います。
明石寺のある西予市宇和町には古代の古墳や遺跡、文化遺産が多く残っていて、明石寺はその中心的存在として発展してきたことを現在の姿からも感じることができる重厚な古刹でした。
※宇和町の歴史に関しては、以下リンクの記事でもご紹介していますので、ぜひご覧ください。
【宇和町卯之町】「明石寺」近くは四国西部の要所で重要伝統的建造物群保存地区
【43番札所】 | 源光山 円手院 明石寺(げんこうざん えんじゅいん めいせきじ) |
宗派: | 天台寺門宗 |
本尊: | 千手観世音菩薩 |
真言: | おん ばざら たらま きりく そわか |
開基: | 円手院正澄 |
住所: | 愛媛県西予市宇和町明石201 |
電話: | 0894-62-0032 |