東洋町で高知県に入りましたが、室戸岬への果てしない歩行はまだまだ続きます。室戸市内に入り、高知県での初めての宿泊は、有名な大相撲力士である元大関「朝潮」の故郷である佐喜浜港の一人用「大師堂」に宿泊させていただきました。
東洋町「野根」を出発してからは、海岸線の国道をひたすら歩く
徳島県「阿波の國」をあとにし、いよいよ高知県「土佐の國」に入りました。
昔は遍路にとって難所だった「野根(のね)」の集落を通過してからは、海岸線の国道をひたすら進みます。
この区間は、商店はおろか自動販売機すらありませんし、猿が出たり雑草で歩きにくい場所があったりと油断できませんので、事前準備必須です。
※「野根」を含むこの区間の様子は以下記事もぜひご覧ください。
昔の難所「野根」で休憩のあとは、「猿との遭遇Part2」の要注意区間【高知県東洋町国道55号】
野根から約10kmを歩くと、ようやく「室戸市」に入ります。
室戸市に入ったとはいえ、室戸岬の次の札所「最御崎寺」は約25km先の果てしなく先です。
私はこの日は「鯖大師」が出発地点でしたので、ここまでで既に30km以上歩いており、そろそろ泊まる場所を見つけないとと思い、更に5km強進んだ港町「佐喜浜(さきはま)」に立ち寄りました。
「佐喜浜」は元大関「朝潮」の故郷
佐喜浜は小さな港町で、昔は捕鯨船の拠点になっていたそうです。
そしてあまり知られていないようですが、大相撲の元大関「朝潮(あさしお)」の故郷なのです。
大相撲ファンの方なら朝潮を知らない人はいないと思いますが、現役引退後「高砂親方」として元横綱「朝青龍(あさしょうりゅう)」を育てたことでも有名です。
朝青龍はいわずとしれたモンゴル人初の横綱ですが、実は高知県とは深い縁があり、そして四国遍路の36番札所「青龍寺」が四股名の由来でもあるのです。「海陽町」に引き続き、四国の海は屈強なスポーツ選手を育むようですね。
このエピソードは青龍寺のご紹介の際に詳しく触れています。ぜひ下記のリンク先もあわせてごらんください。
元横綱「朝青龍」も登って鍛えた石段が壁の如くそびえる、空海独鈷杵有縁のお寺【36番札所「青龍寺(しょうりゅうじ)」】
朝潮のお父さんは、佐喜浜の元捕鯨船の砲手だそうで、ホエールウオッチングの船頭もされているそうです。
※現在も現役で運航中なのかは未確認
「大師堂」は柵の中の一人用
肝心の宿泊場所ですが、佐喜浜の漁港の海沿いにある「大師堂」です。
この大師堂ですが、知らなければ絶対見逃してしまう外観なので、ここで詳しくご案内しますが、私は佐喜浜のまちの中心あたりにある国道55号沿いの「モンマートむろと」の店主さんに詳しい場所を聞きました。
飲食店や買い物をする場所が佐喜浜にはほとんどないので、備蓄食料がない場合は、このお店で調達するのがよいと思います。
モンマートむろとの地図を参考に貼っておきます。
「モンマートむろと」から、国道55号をそのまま進み、500mほど進んで小高い丘を越えて下ったところに「橋本酒店」があり、その道向いの海沿いの広場に建っているのが大師堂です。
柵の鍵はかかっていないので、入口を開けて敷地に入ることができます。
電気やトイレ・水も無く、よい環境の宿泊場所とはいえませんが、雨風をしのげる場所を長く維持してくださっている地元の方々には頭が下がります。
とても見つけづらい外観ですし、夜は人によっては恐ろしく感じる雰囲気かもしれませんが、その分歩き遍路をしている、野宿でお大師さまに守っていただいていると実感できる場所のようにも思いました。
佐喜浜前後は宿を見つけづらく、この大師堂も一人用なので、この大師堂をあてに遅い時間にここまで進んでくるのはオススメしませんが、貴重な野宿場所としてご紹介しておきます。
施設名: | 佐喜浜漁港 大師堂(さきはまぎょこう だいしどう) |
住所: | 高知県室戸市佐喜浜町1186 ※「橋本酒店」向かい |