【72番札所曼荼羅寺・73番札所出釈迦寺】レイライン的な観点から見た札所の構造

72番札所曼荼羅寺、73番札所出釈迦寺はともに空海の捨身伝説で知られる捨身ヶ嶽(我拝師山)の麓にあり、捨身ヶ嶽直下の奥の院(禅定寺)も含めて三つの寺院が南北に並んでいます。レイライン的な観点から札所の構造を分析します。

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三豊市・善通寺市・多度津町エリア 札所

 

レイライン的な観点から見た札所の構造

四国八十八ヶ所の札所は、由来書はもとより、様々なガイドブックや寄稿文などで、その歴史が紹介されています。そんなこともあって、すでに語り尽くされているような印象がありますが、個々の札所をその構造から分析するレイラインハンティングの観点で見直してみると、今まで語られてこなかった札所の歴史や、個々の札所に込められた古の人の思いが明らかになってきます。

今回は、香川県西部から中部にかけての三豊市・善通寺市・多度津町エリアの札所をレイラインハンティングの手法で分析したレポートをご紹介します。

 

四国八十八ヶ所巡礼の仕上げに近づいていくエリア

歩き遍路は、「香川までは巡った札所の数が増えていくことが嬉しくて、加算的に数えていたけれど、香川に入ると終わりが見えてくるので、あといくつ残っているかと減算式に考えるようになってくる」と言います。
香川県三豊市に入ってくると四国八十八ヶ所巡礼も終盤で、善通寺市には一つのクライマックスともいえる75番札所善通寺も含まれ、巡礼の仕上げらしい雰囲気が高まってきます。

 

72番札所曼荼羅寺(まんだらじ)・73番札所出釈迦寺(しゅっしゃかじ)

<由緒>

四国八十八ヶ所72番札所曼荼羅寺
真言宗善通寺派 我拝師山延命院
本尊:大日如来

四国霊場で最も古い推古4年(596)、佐伯家の氏寺として創建されたと伝えられる。初めは「世坂寺(よさかでら)」と称していた。近くの「水茎の丘」には、西行が庵を建てて7年余り暮らしていたとされる。

四国八十八ヶ所73番札所出釈迦寺
真言宗御室派 我拝師山求聞持院
本尊:釈迦如来

空海が7歳の時に身を投げて、神仏への帰依を願った伝説で知られる捨身ヶ嶽(我拝師山)に設けられたのが始まりで、「捨身ヶ嶽禅定」といわれる札所だったが、麓の現在地に移されて今に至る。捨身ヶ嶽禅定は「奥の院」として残る。

 

<南北に並ぶ三寺>

曼荼羅寺、出釈迦寺はともに空海の捨身伝説で知られる捨身ヶ嶽(我拝師山)の麓にあり、捨身ヶ嶽直下の奥の院(禅定寺)も含めて三つの寺院が南北に並んでいます。

曼荼羅寺、出釈迦寺、奥の院の位置

曼荼羅寺、出釈迦寺、奥の院(禅定寺)は南北に並ぶ。

 

曼荼羅寺では、大師堂がぴったりと奥の院を背にしているのがわかります。本堂は東向きで、浄土を意識していることがうかがえます。
本堂内陣には「二十八宿」を表す天井画があります。二十八宿は中国から伝わった占星術の一種で、天の赤道を28の星座(宿)に分け、生まれた日の宿をその人の本命宿として運命を占ったものです。これは方位とも密接に関係しますから、曼荼羅寺が配置や方位に気をつかっていることを物語っています。

曼荼羅寺 本堂 東向き

曼荼羅寺の本堂は東を向く。

曼荼羅寺 大師堂 北面

曼荼羅寺の大師堂は北面し、出釈迦寺奥の院を背負う形になっている。

捨身ヶ嶽直下に位置する出釈迦寺は、北側が開け、遠く海まで見渡すことができます。本堂北側に捨身ヶ嶽遥拝所があり、ここから奥の院を拝する形となっています。
出釈迦寺から奥の院までは、徒歩だと急登を1時間弱。毎月15日の夕方に出釈迦寺からシャトルバスが出ています。また、この日は奥の院の堂で宿泊もできます。

出釈迦寺 本堂

出釈迦寺の本堂。

捨身ヶ嶽遥拝所

本堂の奥にある捨身ヶ嶽遥拝所。奥の院が意識されていることがよくわかる。

空海が身を投げたと伝えられる修行場は、奥の院から20メートルほど登った捨身ヶ嶽直下にあります。ここから、周囲を見渡すと、目前の中山は、その山頂に冬至の太陽が沈む形になっています。これは、金刀比羅宮-大麻山-我拝師山-弥谷寺という二至を結ぶライン上であることを示しています。奥の院の背後には修験者が修行した岩窟がありますが、二至二分を重要視する修験道が、この一帯を修行道場としていたことの名残です。

禅定寺

我拝師山(捨身ヶ嶽)を背負う奥の院(禅定寺)。

捨身ケ嶽 岩場

空海が身を投げたとされる我拝師山直下の岩場。

捨身ケ嶽 冬至の日没

捨身ケ嶽之聖地から見ると、我拝師山に峰を連ねる中山の方向に冬至の日が沈むのがわかる。

紀伊半島を縦断する大峰山系を本拠とする大峰修験では、「のぞき」という行が行われます。たすきに綱を掛けられた修行者が岩場から逆さに吊られ、「親を大切にするか?」とか「正直に生きるか?」と先達に怒声とともに問いかけられ、それに答えると引き上げられるという修行です。テレビなどで紹介されているのを見たことがある方もいるでしょう。
空海の「捨身修行」の逸話は、まさに「のぞき」の修行に類似しています。そんな点も、この周辺が古来の修験道のメッカであったことを物語っています。

 

ここまで、72番札所曼荼羅寺と73番札所出釈迦寺のレイライン的観点での分析レポートをご紹介しました。

同じ三豊市・善通寺市・多度津町エリアの70番札所本山寺、71番札所弥谷寺、74番札所甲山寺、75番札所善通寺、76番札所金倉寺・77番札所道隆寺に関するレポートは、以下リンクの記事もぜひご覧ください。

【香川県三豊市・善通寺市・多度津町エリア】レイライン的な観点から見た札所の構造-70番札所本山寺

【香川県三豊市・善通寺市・多度津町エリア】レイライン的な観点から見た札所の構造-71番札所弥谷寺

【香川県三豊市・善通寺市・多度津町エリア】レイライン的な観点から見た札所の構造-74番札所甲山寺

【香川県三豊市・善通寺市・多度津町エリア】レイライン的な観点から見た札所の構造-75番札所善通寺

【香川県三豊市・善通寺市・多度津町エリア】レイライン的な観点から見た札所の構造-76番札所金倉寺・77番札所道隆寺

 

【「72番札所曼荼羅寺」 地図】

 

【「73番札所出釈迦寺」 地図】

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この記事を書いた人

聖地と呼ばれる場所に秘められた意味と意図を探求する聖地研究家。アウトドア、モータースポーツのライターでもあり、ディープなフィールドワークとデジタル機器を活用した調査を真骨頂とする。自治体の観光資源として聖地を活用する 「聖地観光研究所--レイラインプロジェクト(http://www.ley-line.net/)」を主催する。