【73番札所出釈迦寺】空海が幼少期に断崖絶壁から身を投じた伝説の「捨身ヶ嶽禅定」

73番札所出釈迦寺には、空海が幼少期に、多くの人を救いたいとの想いで断崖絶壁から身を投じた伝説が残っています。我拝師山の「捨身ヶ嶽禅定」をのぞみ、お大師さまの修行の様子をしのびます。

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お遍路さん限定でうどんを食べることができる「うどんの里 丸正」

72番札所「曼陀羅寺」を参拝し、次の73番札所「出釈迦寺」は南方の山方向への登り坂を600mほど進んだところにあります。
曼陀羅寺から出釈迦寺に向かう道方向のお寺のすぐ隣に「うどんの里 丸正」というお店があり、このお店はおみやげうどん専門という珍しい営業をされています。
お寺の参拝者がおみやげに買い求めたり、地方発送をしたりするようなのですが、お遍路さん限定でお店の中でうどんを食べることができるサービスをしているそうなのです。
私が訪れた際はお店が閉まっていたので、実際に食べることはできなかったのですが、お遍路さんが特別体験をできるおもしろい立ち寄りスポットですので、ご紹介しておきます。

うどんの里丸正

曼陀羅寺のすぐ隣に「うどんの里 丸正」があります。おみやげうどん専門店自体が珍しいのですが、お遍路さん限定でその場で食べられるサービスはさらに珍しく特別感があります。

 

お大師さまが断崖絶壁から身を投じた「捨身ヶ嶽禅定」

登り坂をしばらく進むと、ほどなくで73番札所出釈迦寺に到着します。

出釈迦寺 修行大師像

坂道石段ではお大師さまがお出迎えしてくださいます。

出釈迦寺 さわやかな声案内板

曼陀羅寺では稼働しなかった「さわやかな声」でお寺の歴史を案内してもらいました。

出釈迦寺はその名の通り「釈迦が出づるお寺」ですが、その由来はお大師さまにまつわる伝説に関係しています。
お大師さまが幼少期に「倭斬濃山(わしのやま)」に登り、「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じたところ、紫色の雲が湧き、釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り、雲の中で弘法大師を抱きとめて、命を救われ、願いが叶うことを示されたとの伝説が残っています。
その後、青年になった空海が、釈迦如来が現われた倭斬濃山を「我拝師山(がはいしざん)」と名づけ、その山に釈迦如来の尊像を刻んで御本尊として「出釈迦寺」を創建したそうです。
空海修行の場であり元々の「出釈迦寺」があった場所は73番奥の院「捨身ヶ嶽禅定(しゃしんがたけぜんじょう)」として今も残っており、現在の「出釈迦寺」が札所になったのは大正時代のことだそうです。

捨身ヶ嶽禅定 我拝師山

現在の出釈迦寺の南の山が「我拝師山」で、山の中腹に「捨身ヶ嶽禅定」のお堂を見ることができます。

出釈迦寺 本堂 捨身ヶ嶽遥拝所

本堂の左方向が「捨身ヶ嶽遥拝所」になっており、お寺の境内から拝むこともできます。

出釈迦寺から捨身ヶ嶽禅定まで、距離約1.5km、標高差約300mを登る必要があり、私は今回は登らなかったのですが、ぜひ一度訪れてみたい場所です。

 

「虚空蔵求聞持の法」の修行

出釈迦寺は、空海が四国霊場開創の際に「虚空蔵求聞持(こくうぞうぐもんじ)の法」の修行をした地としても知られています。
「虚空蔵求聞持の法」とは、虚空蔵菩薩のご真言を一百萬遍お唱えする法で、これを修めることにより、教法の文義ことごとく暗記することができるといわれており、お寺の境内には空海が修行をする様子をあらわした石像も安置されていました。

出釈迦寺 求聞持大師像

「求聞持大師」を拝むと、学業成就や物忘れ防止のご利益があるそうです。

 

73番札所出釈迦寺は、幼少期のお大師さまの伝説が残る霊地です。
捨身ヶ嶽禅定にその伝説を重ね合わせて参拝したいものです。

 

【73番札所】  我拝師山 求聞持院 出釈迦寺(がはいしざん ぐもんじいん しゅっしゃかじ)
宗派: 真言宗御室派
本尊: 釈迦如来
真言: のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
開基: 弘法大師
住所: 香川県善通寺市吉原町1091
電話: 0877-63-0073

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この記事を書いた人

お遍路さん初心者です。  2015年1月20日(火)に1番札所を出発し、2015年3月1日(日)に41日間で88番札所で通し歩き結願を果たすことができました。 2015年4月12・13日の2日間で、開創1200年で盛り上がる高野山にお礼参りにも行ってきました。 自身の通し歩き遍路体験を元にお役立ち情報を発信しています。