76番札所金倉寺と77番札所道隆寺は、ともに善通寺から高松方向に伸びる「讃岐の基本線」レイラインに直行する方位を本堂が向き、そちらに向かって参道が伸びています。レイライン的な観点から札所の構造を分析します。
レイライン的な観点から見た札所の構造
四国八十八ヶ所の札所は、由来書はもとより、様々なガイドブックや寄稿文などで、その歴史が紹介されています。そんなこともあって、すでに語り尽くされているような印象がありますが、個々の札所をその構造から分析するレイラインハンティングの観点で見直してみると、今まで語られてこなかった札所の歴史や、個々の札所に込められた古の人の思いが明らかになってきます。
今回は、香川県西部から中部にかけての三豊市・善通寺市・多度津町エリアの札所をレイラインハンティングの手法で分析したレポートをご紹介します。
四国八十八ヶ所巡礼の仕上げに近づいていくエリア
歩き遍路は、「香川までは巡った札所の数が増えていくことが嬉しくて、加算的に数えていたけれど、香川に入ると終わりが見えてくるので、あといくつ残っているかと減算式に考えるようになってくる」と言います。
香川県三豊市に入ってくると四国八十八ヶ所巡礼も終盤で、善通寺市には一つのクライマックスともいえる75番札所善通寺も含まれ、巡礼の仕上げらしい雰囲気が高まってきます。
76番札所金倉寺(こんぞうじ)・77番札所道隆寺(どうりゅうじ)
<由緒>
四国八十八ヶ所76番札所金倉寺
天台寺門宗 鶏足山宝幢院
本尊:薬師如来
宝亀5年(774)に円珍(智証大師)の祖父・和気道善が創建と伝わる。
四国八十八ヶ所77番札所道隆寺
真言宗醍醐派大本山 桑多山明王院
本尊:薬師如来
和銅5年、当地の領主である和気道隆が薬師如来を桑の木で刻んで堂に安置したのが始まりとされ、さらに、大同2年(807年)唐から帰朝した空海に頼み、90cmほどの薬師如来を彫像し、その胎内に道隆の像を納め本尊としたと伝えられる。
<讃岐の基本線に直行する方位>
金倉寺から道隆寺、さらにその次の78番札所郷照寺までは単調な平地歩きが続きます。金倉寺と道隆寺の間が3.9kmでさらにその先の郷照寺までは7.2km。札所巡りの終盤でもあるため、歩き遍路は、傍目も振らず早く消化したい一心で一気に歩いていくコースです。
金倉寺は真言宗が大多数の四国八十八ヶ所の札所の中では珍しい天台宗の寺院であり、「お大師様」も智証大師(円珍)が祀られています。道隆寺も智証大師が住職を務めたとされています。ともに本尊は薬師如来で、道隆寺は眼病に霊験がある「目なおし観音」としても知られています。道隆寺もやはり大同2年に空海創建と伝えられていますが、この創建年代が共通する寺院は特別な関係性があるのかもしれません。
金倉寺と道隆寺は、ともに善通寺から高松方向に伸びる「讃岐の基本線」レイラインに直行する方位を本堂が向き、そちらに向かって参道が伸びています。これは、善通寺周辺の条理=区画に沿った方向なので、普通に区画に合わせて境内を設計したためとも考えられますが、もしかすると、本来は讃岐の基本線の方向、つまり夏至の日の出の方向を向いていたのかもしれません。
また、両寺院の向いている方向に直線を伸ばしていくと、剣山を指しますが、あるいは剣山を意識したものかもしれません。たとえば高松市内からでも、場所を選べば剣山が目視可能で、そんな場所には必ず剣山と正対する社や祠があります。古くは、そうした祠があった場所に寺院が築かれたとも考えられます。
剣山を意識した聖地に関しては、また別の機会に詳述したいと思います。
ここまで、76番札所金倉寺と77番札所道隆寺のレイライン的観点での分析レポートをご紹介しました。
同じ三豊市・善通寺市・多度津町エリアの70番札所本山寺、71番札所弥谷寺、72番札所曼荼羅寺・73番札所出釈迦寺、74番札所甲山寺、75番札所善通寺に関するレポートは、以下リンクの記事もぜひご覧ください。
【香川県三豊市・善通寺市・多度津町エリア】レイライン的な観点から見た札所の構造-70番札所本山寺
【香川県三豊市・善通寺市・多度津町エリア】レイライン的な観点から見た札所の構造-71番札所弥谷寺
【香川県三豊市・善通寺市・多度津町エリア】レイライン的な観点から見た札所の構造-72番札所曼荼羅寺・73番札所出釈迦寺
【香川県三豊市・善通寺市・多度津町エリア】レイライン的な観点から見た札所の構造-74番札所甲山寺
【香川県三豊市・善通寺市・多度津町エリア】レイライン的な観点から見た札所の構造-75番札所善通寺
【「76番札所金倉寺」 地図】
【「77番札所道隆寺」 地図】