四国八十八ヶ所霊場巡礼のスタート地点、第1番札所霊山寺のほど近くに、阿波國の一之宮で徳島県の総鎮守である「大麻比古神社」があります。古くより信仰を集めるこの神社は、実は四国遍路とも関連が深いのです。
徳島県内随一の大社
四国八十八ヶ所霊場第1番札所霊山寺から北に1kmほどの距離に、阿波國の一之宮で徳島県の総鎮守である「大麻比古神社(おおあさひここじんじゃ)」があります。
この神社は、古くから信仰を集める徳島県随一の大社で、正月の初詣には毎年20万人を超える人が参拝に訪れる名所にもなっています。
社伝によると、神武天皇の御代、「天太玉命(あめのふとたまのみこと)」の御孫「天富命(あめのとみのみこと)」が阿波忌部氏の祖を率いて阿波國に移り住み、麻・楮の種を播殖してこの地を開拓、麻布木綿を生産して殖産興業と国利民福の基礎を築いたことにより、祖神の天太玉命(大麻比古神)を阿波國の守護神として祀ったのが神社のはじまりだそうです。
境内に入って、まず目に飛び込んでくるのは、巨大な御神木である大楠。
樹齢は1,000年以上といわれ、鳴門市指定の天然記念物にもなっています。
また、近隣にある「道の駅第九の里」の記事でもご紹介したように、ここ鳴門市の板東地域はかつて板東俘虜収容所があったことから、ドイツとのつながりが深く、境内にドイツゆかりの建造物も残されています。
※道の駅第九の里と板東俘虜収容所に関しては、以下リンクの記事もぜひご覧ください。
【道の駅第九の里】不揃いなうどんの不思議な食感とやさしい出汁の鳴門名物「鳴ちゅる」
本殿の裏側に進んでいった先に、池が見えてきます。
この池は「心願の鏡池」と名付けられており、捕虜になっていたドイツ兵が遠い祖国に帰ることを願いつつ、池を掘り、ドイツの石積み技術を駆使して石造の2連アーチ橋を作ったそうです。
また、さらに奥に進むと、もうひとつの橋「ドイツ橋」があります。
この橋もドイツ捕虜が築造を提案したそうで、橋の材料は和泉砂岩、アーチの形式はローマ式の半円形で馬蹄形の石築アーチ橋となっていて、内面で180個、全体で3000個の石が使用されており、その重さは195トンにもなるそうです。
1919年(大正8年)4月初旬に着工し、同年6月末に完成したそうで、2004年(平成16年)1月30日に徳島県の文化財史跡に指定されています。
このように徳島県人に親しまれ、パワースポットとしても、多くの文化財を有する神社としても有名な大麻比古神社ですが、実は四国遍路とも関連が深いのです。
四国遍路道中の安全祈願
大麻比古神社の御祭神は、「大麻比古大神」と「猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)」で、猿田彦は天孫降臨の時、道案内の役をつとめた神で、古くから交通安全の神として信仰されてきました。
元々は、大麻比古神社の御神体山である大麻山の頂上にまつられていたそうで、大麻山は海上交通の目印になっていたことから、大麻山で猿田彦大神に船の安全を祈願する習慣があったのだとか。
ということで、昔のお遍路さんは、1番札所霊山寺から巡礼を始める前に、大麻比古神社に立ち寄り、遍路道中の安全祈願をしていたそうなのです。
江戸時代の僧侶で、四国遍路の大衆化に大きな功績を残した「真念」の著書「四国邊路道指南」(1687年発行)の中に「(霊山寺の)3町北に大麻彦大明神がある。必ずお参りするように」と記述もあるとのことです。
※真念に関しては、以下リンクの記事もぜひご覧ください。
【洲崎寺】遍路の父「真念」のお墓がある源平合戦ゆかりの番外霊場
霊山寺がかつては大麻比古神社の神宮寺であったという説もあり、古くから地元の人の信仰を集めるとともに、遍路文化と密接に関係してきた神社なのです。
※神宮寺・・・神仏習合思想に基づき、神社に附属して建てられた仏教寺院や仏堂
四国遍路に出発する前に大麻比古神社で安全祈願をする習慣を復活させようと、神社ではお遍路さん向けの交通安全祈願お守りの授与も始まっているそうです。
このように、阿波國一之宮「大麻比古神社」は、史跡としてたいへん興味深く、四国遍路とも関連がある神社です。
遍路スタート時や遍路道中に立ち寄って、古からの歴史や、昔のお遍路さんの習慣などに思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。
【「大麻比古神社」 地図】