別格15番札所箸蔵寺には、江戸時代後期に再建された建造物が多くのこり、6棟が国の重要文化財に指定されています。特に本殿は複雑な造りと巧緻な装飾で、当時の神仏習合の文化とお寺の隆盛の歴史を現代に伝えています。
「こんぴら奥の院」とも称される箸蔵寺
四国別格二十霊場の15番札所箸蔵寺は、標高約600mの山中に位置し、お寺へのアクセスに箸蔵山ロープウェイが敷設されています。公共交通機関でロープウェイ登山口駅に向かう場合は、JR土讃線「箸蔵駅」より国道32号線を香川県方面へ徒歩約7分です。
ロープウェイからの景色は最高です。眼下に吉野川が流れ、対岸の四国山地を一望でき、秋は紅葉の名所でもあり、参拝のみならず、観光で訪れる人も多いです。徒歩で山を登るルートもありますが、長い山道と仁王門からの参道、さらに石段が500段ほどあり、かなり苦労します。
平安時代、弘法大師空海が山頂に漂う不思議な霊気に導かれ、金毘羅大権現の神託を受けて七堂伽藍を建立したと伝わっています。 地元で語り継がれている「天狗の箸運び伝説」によると、讃岐・金刀比羅宮(こんぴらさん)のお祭りの時に使われた箸を山にすむ天狗が運び納めたといいます。これらのエピソードから金刀比羅宮との関係が深く、「こんぴら奥の院箸蔵寺」の名でも広く知られています。
毎年8月4日の箸供養では、境内に法螺貝が響き渡り、箸みこし練り供養後に柴灯大護摩供養が厳修され、火渡りが行われます。
箸蔵寺の建造物のうち6棟が国指定重要文化財です。
山中の広い範囲に、仁王門、方丈(本坊)、護摩殿、鐘楼堂、 薬師堂、天神社本殿、観音堂、本殿などの諸堂が点在しています。江戸時代後期の1826年の大火で全焼失後、再建されました。真言宗の寺院ですが、江戸時代にこんぴらの奥の院として信仰を集めていたことから、再建された建物にも神仏習合の息吹が強く残っています。
複雑な造りと様々な技法を駆使した装飾が特徴の本殿
箸蔵寺は寺院ではありますが、一般的な寺院の本堂にあたる建造物を「本殿」と呼んでいます。このあたりも、神仏習合の歴史を現代にも色濃くのこしているところです。
本殿は、山頂付近の傾斜地に建ち、奥殿、内陣、外陣からなる大型の複合建築です。本殿・石の間・拝殿で構成される神社の権現造を連想させます。正面3間、背面4間、側面6間の入母屋造の奥殿と、桁行5間、梁間4間の入母屋造の外陣との間を、桁行3間、梁間4間の切妻造で妻入りの内陣がつないでいます。
屋根はきわめて複雑な形状で、奥殿の入母屋造の正面に千鳥破風(ちどりはふ)と軒唐破風(のきからはふ)、中間の切妻造の屋根左右に庇、外陣の入母屋造の屋根前後に千鳥破風と前面の向拝に軒唐破風を付けます。そして木鼻(きばな)や尾垂木(おたるき)、向拝の手挟(たばさみ)などの細部には丸彫、籠彫、浮彫など様々な技法を駆使した彫刻が施され、江戸時代末期の巧緻な装飾性をそのままのこしています。彫刻たちが渋滞しているかごとくの複雑な構成に緻密な造形美を重ね合わせた豪壮で特徴的な建造物といえます。
※寺院建築の屋根の種類や形状、装飾などに関しては、以下リンクの記事で詳しくご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
手が込んでいるなというのは屋根の上も同じで、軒唐破風と千鳥破風の頭の上の鬼飾りを見るとわかります。鬼飾りの本体の両側の羽根の部分がかなり細かく彫りの深い仕上がりになっています。銅板ではなかなかここまではできません。神社仏閣では銅板の鬼飾りでも既製品のものが多いのですが、時には「打ちだし」といって彫刻した木材に合わせてハンマーで銅板を打って形を出すという特注品もあります。この本殿の鬼飾りはさらに手間がかかる、部材の一つ一つをハサミで切り、ハゼで掴んで仕上げる方法で作られているようです。
屋根は全体が銅板屋根ですが、キレイな緑青が出たグリーンカラーになっています。銅板は20年から30年経つとこのような色になりますが、海からは離れた山の中というロケーションから察すると、50年くらい経っているかもしれません。
箸蔵寺は、江戸時代にはお遍路巡礼やこんぴら参りで四国を訪れた人などが参拝に訪れ、たいへんな賑わいであったといいます。当時の隆盛を境内にのこる建築物が現代に伝えていますので、ぜひじっくりと観察してみてください。
【別格15番札所】 | 宝珠山 真光院 箸蔵寺(ほうしゅざん しんこういん はしくらじ) |
宗派: | 真言宗御室派 |
本尊: | 金毘羅大権現 |
真言: | おん くびらや そわか |
開基: | 弘法大師 |
住所: | 徳島県三好市池田町州津字蔵谷1006 |
電話: | 0883-72-0812 |