【杖杉庵】四国遍路の元祖で逆打ちの起源でもある「衛門三郎」を偲ぶ

12番札所焼山寺から下り始めて2km弱で、四国遍路の元祖といわれる「衛門三郎」ゆかりの「杖杉庵」に到着します。札所を番号順と逆にまわる「逆打ち」の起源ともされ、長い道のりを歩く遍路の意味を考えさせらる場所です。

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 下りの急ぎ足に要注意

最初にして最大の難所である「焼山寺への遍路ころがし」を制覇し、達成感と安心感に満たされるのも束の間、当たり前ではありますが、山を登ったら下らなければいけません。
山登りの経験がある方や、歩き慣れている方には常識ではありますが、登りよりも下りの方が足に負担がかかりますし、下りの惰性で思わぬスピードが出て、転倒や足の踏み外しの危険も高まります。
12番札所焼山寺からの下り道は、整備がよくされているので、一歩ずつゆっくり確実に進めばそれほど危険な場所はありませんので、先を急がないように進まれてください。

 

いちょうの大木が目印の「杖杉庵(じょうしんあん)」

焼山寺から下り始めて2km弱、未舗装遍路道から舗装道路に出た先で、いちょうの大木が目に入ります。大木の下には、お堂とお墓と彫像があり、ここが四国遍路の元祖といわれている「衛門三郎」ゆかりの「杖杉庵」です。

杖杉庵

遍路道沿いのいちょうの大木は嫌でも目に入りますので、見逃すことはないと思います。

ちょうど下りの負担が出始める頃でもあるので、ここで一度荷物を降ろして、休憩がてら、四国遍路の起源とされる伝説を学ばれるとよいと思います。

 

「衛門三郎(えもんさぶろう)」とは?

衛門三郎に関しては、杖杉庵に伝説に関する以下写真の看板がありましたので、それをそのまま書き起こしておきます。

杖杉庵 衛門三郎霊跡看板

歩き遍路をしていると、どうしても先を急ぎがちなので、あえてゆっくり文字を読む機会をつくって、休憩時間にもしていたことを思い出します。

衛門三郎霊跡

伊予の国 浮穴群荏原の荘の長者衛門三郎は財宝倉にみち勢近国に稀な豪族であった。それでいて強欲非道な鬼畜のようなこの長者は貧しい者を虐げ召使共を牛馬の如くにこき使って栄華の夢に酔いしれていた。雪模様の寒いある日にその門前に一人の旅僧が訪れた。乞食のようなみすぼらしい旅僧は一椀の食物を乞うた。下僕の知らせに衛門三郎はうるさげに「乞食にやるものはない追い払え」と言い捨てた。そのあくる日も次の日も訪れた。衛門三郎は怒気満面いきなり旅僧の捧げる鉄鉢を引っ掴むや大地に叩きつけたと見るや鉄鉢は八つの花弁の如く四辺にとび散った。唖然と息を呑み棒立ちとなった衛門三郎がふと我に返った時には旅僧は煙の如く消え失せていた。
長者には八人の子供があった。其翌日長男が風に散る木の葉の如くこときれた。其の翌日には次子が亡くなり八日の間に八人の子供がなくなった。鬼神も恐れぬ衛門三郎も恩愛の情に悲嘆にくれ初めてこれはおのが悪業の報いかと身に迫る思いを感じた。空海上人とか申されるお方が四国八十八ヶ所をお開きになる為此の島を遍歴なされているとか。我が無礼を働いたあの御坊こそその上人と思われる。過ぎし日の御無礼をお詫び申さねば相すまぬと発心しざんげの長者は財宝を金にかえ妻に別れ、住みなれた館を後に野に山に寝、四国八十八ヶ所の霊場を大師を尋ねて遍路の旅をつづけた。春風秋雨行けど廻れど大師の御すがたに会うことが出来なかった。遂に霊場を巡ること二十度会えぬ大師を慕いつづけた。二十一度逆の途を取って此の所までたどりついた。疲れた足をよろぼいつつ木陰に立ち寄り背に負うた黄金の袋を下して見ると何とした事ぞ一塊の石となっていた。いよいよ驚きが今一歩も立上がる気力もなくうち倒れている折しも大師の御姿が現れ給い、やさしく「やよ、旅の巡礼、そなたは過ぎし日わが鉄鉢を打ち砕いた長者にあらずや」との御声「われは空海いつぞやの旅僧なり」「ああ上人さまお許しなされませ、お許しなされまし」と伏し拝みざんげの涙はらはらと手を合わせ大悲にすがる長者は今こそ悪業深さ無明の闇から光明世界へ還らんとする姿であった。
「そなたの悪心すでに消え善心に立ち還った。この世の果報はすでに尽きたり来世の果報は望に叶うであろう」と仰せられ、衛門三郎は大慈大悲の掌に救われ来世は一国の国司に生まれたい、と願った。大師は其心を憐み、小石を其左手に握らせ、必ず一国の主に生まれよと願い給い、衛門三郎はにっこと微笑みをのこし敢え無くなった。
其の日は天長八年十月二十日と伝えられる。大師は衛門三郎のなきがらを埋め彼の形見の遍路の杉の杖を建て墓標とされた。其の杖より葉を生し大杉となった。故に此の庵を杖杉庵と呼ばれ今尚大師の遺跡として残っている。
此杉は享保年間焼失した。その頃京都御室から「光明院四行八蓮大居士」の戒名が贈られ、四国遍路の元祖として今も此の地にまつられている。

焼山寺 保勝会 複刻 平成八年一月吉日

 

杖杉庵 お大師さま 衛門三郎

こういうシーンを切り取った彫像はとても珍しく、記憶に残っています。

21回目の逆廻りが、現在の「逆打ち」の起源にもなっているとされますし、お大師さまと巡り合いざんげするための巡礼と聞くと、自分が歩く意味や何を達成すべきなのかを考えさせられる機会になりました。
衛門三郎終焉時に握っていた小石の由縁で、51番札所は「石手寺」となったそうで、その縁起はまた別の記事でご紹介します。

杖杉庵 墓石 杉

一度焼失されたとされますが、立派な杉の木の前にお墓があります。いちょうの大木の方が目につきますが。

お墓にも手を合わせ、以後の遍路旅の無事を祈願し、この日の宿泊場所へ歩行再開です。

ちなみに、納経された場合は記帳は焼山寺で行うことになりますので、ご注意を。

 

【番外霊場】  杖杉庵(じょうしんあん)
宗派: 高野山真言宗
本尊: 地蔵菩薩
真言: おん かかかび さんまえい そわか
開基: 弘法大師
住所: 徳島県名西郡神山町下分地中174

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この記事を書いた人

お遍路さん初心者です。  2015年1月20日(火)に1番札所を出発し、2015年3月1日(日)に41日間で88番札所で通し歩き結願を果たすことができました。 2015年4月12・13日の2日間で、開創1200年で盛り上がる高野山にお礼参りにも行ってきました。 自身の通し歩き遍路体験を元にお役立ち情報を発信しています。