新川沿いの聖山である白山・嶽山の山麓に、豊玉姫命が新川を遡上して鎮座したとされるふたつの「わにかわ神社」があります。
山岳信仰と海人族の豊玉姫命信仰が融合した巨大な聖地であった可能性がみえてきます。

鰐河神社

新川は白山の南麓から、今度は嶽山の東麓を大きく回り込むように流れています。
※新川の起点から、白山・八ヶ峰までに関しては以下リンクの記事をご覧ください。

豊玉姫の聖地とレイライン―屋島から新川を辿る―【「屋島寺」「浦生」編】

豊玉姫の聖地とレイライン―屋島から新川を辿る―【「池戸八幡神社」編】

豊玉姫の聖地とレイライン―屋島から新川を辿る―【「天野神社」編】

豊玉姫の聖地とレイライン―屋島から新川を辿る―【「白山」「白山神社」編】

豊玉姫の聖地とレイライン―屋島から新川を辿る―【「眞行寺」「八ヶ峰」「勅使神社」編】

ちょうどその白山麓と嶽山山麓の接点付近に、「鰐河(わにかわ)神社」があります。
ここは、式内社讃岐國三木郡和尓賀波神社に比定される一社です。
祭神は豊玉姫命と應神天皇。創祀年代不詳とされています。

境内の前面を新川が横切り、石橋を渡って、真っ直ぐ伸びる参道を辿っていくと正面に社殿があります。
本殿は南面しています。
境内右手に境内社が二つ並んでいます。
一社は本宮神社で祭神は豊玉姫命の妹神である玉依姫命、一社は若宮神社で祭神は応神天皇の皇子である宇治稚郎子命です。

新川沿いの鰐河神社。

鰐河神社は白山を背負う。

当社の社伝によれば、豊玉姫命は讃岐国山田郡に亀に乗ってやって来て、鵜草葺不合命を生み、鰐魚に乗って、川を遡り、当地に鎮座したとされます。
延喜八年に八幡を配祀したという記録がありますので、豊玉姫命はそれ以前から祀られていたことがわかります。

 

【「鰐河神社」 地図】

 

和爾賀波神社

鰐河神社の東、直線距離で1.5km離れた場所に、「和爾賀波(わにかわ)神社」があります。
こちらも式内社讃岐國三木郡和尓賀波神社に比定されています。
社格は旧郷社で、祭神は豊玉姫命、玉依姫命、八幡大神、息長足姫命が配祀されています。
こちらも創祀年代は不詳とされています。

この神社の境内も南北に長く、中心を貫く参道を行くと、立派な神門があります。
やはり豊玉姫命が鰐に乗って遡上して来たと伝えられています。

南北に長い参道が伸びる和邇賀波神社。

参道には立派な神門がそびえる。

社殿は南面している。

配祀の八幡大神は、男山八幡宮より勧請されたもので、『紫雲山極楽寺宝蔵院古暦記』には、天暦四年(950)から永享十年(1438)の間に10回遷宮したという記事が見られます。

前記の鰐河神社と和爾賀波神社が正確に東西に並んでいることや、頻繁に遷宮をしたことを考え合わせると、元はこの二社は一つで、広大な境内を有していたものと考えられます。
二社が一つであったと考えれば、白山を真北に背負うことになり、白山を御神体山とした信仰と海人族がもたらした豊玉姫命信仰が習合した巨大な聖地であった可能性が高くなります。

白山を頂点とした鰐河神社と和爾賀波神社の位置関係。白山神社の鎮座位置とその参道の方向にも意味があることがわかる。

 

【「和爾賀波神社」 地図】

 

新川を遡上した豊玉姫命が鎮座したと伝わる「鰐河神社」「和爾賀波神社」と、新川沿いの聖地配置や聖山「白山」との関係性は、この地域の成り立ちを示す重要な手がかりになるかもしれません。

※「豊玉姫の聖地とレイライン―屋島から新川を辿る―」は以下リンクの記事に続きます。

豊玉姫の聖地とレイライン―屋島から新川を辿る―【「静薬師」「空風呂」編】

 

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内田一成

聖地と呼ばれる場所に秘められた意味と意図を探求する聖地研究家。アウトドア、モータースポーツのライターでもあり、ディープなフィールドワークとデジタル機器を活用した調査を真骨頂とする。自治体の観光資源として聖地を活用する 「聖地観光研究所--レイラインプロジェクト(http://www.ley-line.net/)」を主催する。