68番札所神恵院は、江戸時代までは「琴弾八幡宮」として札所でしたが、明治時代の神仏分離により、69番札所観音寺の境内地に移された1境内2札所の珍しいお寺です。2002年新築の本堂(西金堂)は最新式の施設でした。
銭形展望台の山の上から「神恵院」に入る
67番札所大興寺からため池がたくさんある田園住宅地帯を歩くこと約8km、観音寺市街に入ってほどなくして、観光名所の「琴弾公園」の入口に到着します。
私は68番札所神恵院参拝前に、琴弾公園方面に進み、「きたのうどん」で食事をし、「銭形砂絵」を眺めることにしました。
※「きたのうどん」「銭形砂絵」の様子は、以下リンクの記事もぜひご覧ください。
【琴弾公園】観音寺市といえば「銭形砂絵(寛永通宝)」と「銭形くん」
【きたのうどん】透き通っただしと細ツル麺に小エビ天ぷらの花開く
銭形砂絵を眺めるために、小高い山の上の銭形展望台に登りましたが、この山の上から神恵院の境内に入ることができる道があったので、本来の参拝ルートではありませんが、この道からお寺に進むことにしました。
ただし、このルートは神恵院と関連が深い「琴弾八幡宮」を参拝したあとに通るルートとしても便利なので、ここを通るお遍路さんも多いようです。
元は琴弾八幡宮の「神宮寺」
68番札所神恵院の縁起によると、大宝3年(703年)に法相宗の日証上人がこの地で修行をしていたところ、海上に琴を弾く老人が乗る舟を見つけ、この老人が八幡大明神であることを知った上人は、その琴と舟を山に引き上げ祀り「琴弾八幡宮」と名付け、このときに建てられた「神宮寺(仏教の僧侶が神祇に奉仕するために,神社の境内などに建立された寺院)」が起源といわれています。
その後、大同2年(807年)に空海が阿弥陀如来を描き本尊として安置し、神恵院として札所に定めたそうです。
江戸時代までは琴弾八幡宮が札所とされていましたが、明治時代の神仏分離により「琴弾神社(昭和初期に「琴弾八幡宮」に復称)」と「神恵院」に分離されることになり、山のふもとにあった69番札所観音寺の境内地に神恵院が移され、1境内2札所の珍しい形態となったとのこと。
ということで、境内にたくさんのお堂がある中で、神恵院と観音寺それぞれの本堂、大師堂が近接する、少々ややこしい配置になっています。
コンクリート打ちっぱなしの最新式本堂(西金堂)
境内案内図をよく見ながら、まずは68番札所神恵院の本堂を参拝すべく境内を進んでいくと、そこには見慣れない建物の姿がありました。
境内を見渡す限り、歴史のありそうな建物がたくさん並んでいるのですが、その分この本堂の異質な雰囲気が際立っています。
61番札所香園寺の「大聖堂」を見たときにも、同じような気持ちになったのを思い出しました。
※香園寺の様子は、以下リンクの記事もぜひご覧ください。
【61番札所香園寺】お寺のイメージをくつがえされる「子安の大師さん」
おそるおそる建物の中に進んでいくと、以下写真のような様子でした。
この本堂(西金堂)は、2002年に新築されたものだそうで、それ以前は現在の薬師堂が「本堂」として使われていたそうです。
68番札所神恵院は琴弾八幡宮の関連を意識して参拝するとよいと思います。
お寺の境内での様子は、69番札所観音寺の記事に続きます。
※「観音寺」の様子は、以下リンクの記事もぜひご覧ください。
【69番札所観音寺】重要文化財の本堂(金堂)と回遊式日本庭園「巍巍園」が見どころ
【68番札所】 | 七宝山 神恵院(しっぽうざん じんねいん) |
宗派: | 真言宗大覚寺派 |
本尊: | 阿弥陀如来 |
真言: | おん あみりた ていぜい からうん |
開基: | 日証上人 |
住所: | 香川県観音寺市八幡町1-2-7 |
電話: | 0875-25-3871 |