42番札所仏木寺は、空海が老人がひく牛の背に乗って進んだ先に、唐から投げた宝珠を見つけたことからこの地に開創されたお寺で、牛の縁から「家畜の安全祈願」や「動物供養」に信仰が広がっています。
龍光寺から仏木寺へは「四国のみち」で中山池経由
41番札所龍光寺を参拝し、次の42番札所仏木寺は同じ三間町内で3km程度の距離です。
遍路地図「四国遍路ひとり歩き同行二人」に示されている遍路道は、龍光寺の裏山を越えて、田園地帯舗装路の県道31号を進むルートなのですが、私は龍光寺前にあった「四国のみち」道標に「仏木寺」の標記があったのを信じて、龍光寺参拝後、山門である鳥居まで戻って、左方向に進みました。
田園・住宅地帯をしばらく進んでいくと「中山池」という大きな池のほとりを歩いていく未舗装路を進むことになります。
41番札所龍光寺の記事でご紹介したように、ここ三間の地域は穀倉地帯で、水が大量に必要になるため、町内に108箇所ものため池があるそうで、その中でも最大の池が中山池とのことです。
池のほとりの道は自然遊歩道として整備されていて、歩きやすいですが、地域性や風情を感じるとてもよい道に私は感じました。
遍路地図が示す遍路道ではなく、しかも1kmほど遠回りにもなりますが、未舗装路がお好きな方にはオススメです。
【中山池周辺地図】
※マップでプロットしている交差点を歩き遍路さんは左折(Googleマップに道は表示されていませんが、田んぼの真ん中を進む舗装路がある十字交差点です)して、中山池の南側を進んでいきます。
お大師さまが牛の背に乗って進んだ先には唐から投げた宝珠
中山池から2km弱歩くと、42番札所仏木寺に到着します。
仏木寺の縁起によると、大同2年(807年)に空海がこの地を訪れた際に、牛を引く老人と出会い、誘われるまま牛の背に乗って進むと、楠の大樹の梢にひとつの宝珠がかかって、光を放っているのを見つけ、この宝珠が空海が唐から投げた宝珠であったことから、この地を有縁の地だと感得し、開創したそうです。
お大師さまは唐からたくさんの仏具をお投げになっているようで、ここまでの道のりでも、独鈷杵は36番札所「青龍寺」に、五鈷杵は38番札所「金剛福寺」のある場所に届いていたそうで、さらに三鈷杵は高野山の現在の「壇上伽藍」の松にひっかかっていたとのことです。
※それぞれのエピソードを以下リンクの記事でご紹介していますので、ぜひこちらもご覧ください。
【36番札所青龍寺】元横綱「朝青龍」も登って鍛えた石段が壁の如くそびえる、空海独鈷杵有縁のお寺
【38番札所金剛福寺】12万平米の大境内に広がる見事な石庭は補陀落への入口
【高野山壇上伽藍】開創1200年記念で「中門再建完了」と「御本尊御開帳」は見逃せない
お大師さまが牛とご縁があったお寺だということで、昔から農耕をともにする家畜の安全祈願のお寺とされ、宇和島の伝統文化「闘牛」の飼育者や、ペット供養など動物全般に関連する人達の信仰を集めているそうです。
四国霊場唯一の特徴をもった「鐘楼堂」
仏木寺の見どころ史跡は、ずばり「鐘楼堂」です。
写真を見ていただいてわかるように、鐘楼堂の立派な屋根が特徴で、四国霊場で唯一の「茅葺屋根」の鐘楼堂なのです。
江戸時代初期に建てられた歴史ある建造物で、三間地域が穀倉地帯であることが関係してかどうかはわかりませんが、お寺の歴史や地域性ととてもマッチした建物に感じました。
屋根が立派すぎて、肝心の鐘が脇役になってしまっているのは、微妙なところですが。
お大師さまの伝説に触れ、珍しい「動物安全祈願」「茅葺屋根鐘楼堂」と地域性も感じることができるお寺仏木寺でした。
【42番札所】 | 一カ山 毘盧舎那院 仏木寺(いっかざん びるしゃないん ぶつもくじ) |
宗派: | 真言宗御室派 |
本尊: | 大日如来 |
真言: | おん あびらうけん ばざらだどばん |
開基: | 弘法大師 |
住所: | 愛媛県宇和島市三間町則1683 |
電話: | 0895-58-2216 |