57番札所栄福寺では、歴史を感じるお堂と、寺務所やトイレの近代建築が共存する珍しいお寺です。このような新しい取り組みをされているのは、若くして住職に就任した白川密成住職と建築家である住職のお兄さんでした。
蒼社川を渡り、田んぼの畦道を進む
56番札所泰山寺を出発し、住宅・田園地帯を1.5kmほど進むと泰山寺の記事で紹介した、かつて氾濫が多かった蒼社川(そうじゃがわ)にたどり着きます。
川を見る限り穏やかな様子で、昔の雨の多い時期に住民を苦しめていた姿は想像できませんでした。
川沿いを進み、川を渡って、遍路道標に従って進むと、ここまでは眺めるだけだった田んぼに突入していくではありませんか。
上の写真のような状況に遭遇し、楽しいはずの畦道遍路道が、突然通行困難道路になってしまいました。
これも久々の迂回を覚悟しましたが、工事のおにいさんの「通れますよー」の軽い一言で通過チャレンジしたものの、軽トラに捕まって工事中の斜面をカニ歩きするというアクロバティックな歩行になりました。
こんなのどかな遍路道で、特異な経験をさせてもらい、あとから思えばとても印象に残る遍路道になりました。
お大師さまが海神供養を行ったのが創建のきっかけ
田んぼを抜けると、ほどなくして57番札所栄福寺に到着です。
栄福寺の縁起によると、弘仁年間(810〜824年)に空海が嵯峨天皇の勅願でこの地を訪れ、当時瀬戸内海で絶えなかった海難事故をおさめるために、瀬戸内海を望む府頭山山頂で護摩法を修法したそうで、満願の日に、海上から光溢れる「阿弥陀如来」が現われたことから、山の頂上にお堂を築き「阿弥陀如来像」を本尊としてまつったのがお寺の始まりとされているそうです。
明治時代に山の頂上から現在お寺がある山の中腹に移転し、現在の大師堂は山頂からそのまま移設した由緒あるお堂なのだそうです。
歴史あるお堂と近代建築の融合の立役者は若き白川兄弟
ここまでは、お寺の縁起とお堂の紹介をしましたが、私が栄福寺に到着してまず目を奪われたのは、近代的なデザインの建造物でした。
お寺では歴史を感じる和建築物しか見ることがないのが通常で、栄福寺の建物は明らかに異質で目を奪われるのですが、どこか本堂と大師堂とのバランスがとれていて、なんとなく溶け込んでいるようにも見えるのが不思議でした。
このような新しい取り組みをされているのは、2001年に先代住職の遷化で24歳の若さで住職に就任した白川密成(しらかわみっせい)住職の影響によるところだと思います。
独自の視点で、仏教やお遍路に関して積極的な情報発信や活動を行っていらっしゃるので、ご興味のある方は以下の「栄福寺」ホームページをご覧になってみてください。
四国八十八ヶ所霊場 第57番札所 栄福寺ウェブサイト「山歌う 仏教をやってみよう。」: http://www.eifukuji.jp/
そして、前出の建築物をデザインされたのは、住職のお兄さんで建築家である白川在(しらかわざい)さんだそうで、兄弟でお寺での新しい取り組みを推進されていて素晴らしいと思います。
「演物教堂」や「納経所」だけではなく、注目してほしいのが境内入口にある「トイレ」です。
このトイレの建物は、元々境内にあった木立を縫うように建物を別棟にして配置し、地元の間伐材を使って、しかも建物に柱がなく、間伐材のパネルが構造体・内装材・外装材を兼ねる極めてシンプルな造りでありながら、デザインに優れ機能的なのだそうです。
斬新さと機能性が認められ「2012年度グッドデザイン賞」を受賞しているほどで、札所の取り組みとしては快挙だと思います。
57番札所栄福寺では、他の札所とは一味違う新しい取り組みを見ることができます。
遍路の歴史に新しい風を吹き込む住職に、今後も大いに期待したいと思います。
【57番札所】 | 府頭山 無量寿院 栄福寺(ふとうざん むりょうじゅいん えいふくじ) |
宗派: | 高野山真言宗 |
本尊: | 阿弥陀如来 |
真言: | おん あみりた ていせいから うん |
開基: | 弘法大師 |
住所: | 愛媛県今治市玉川町八幡甲200 |
電話: | 0898-55-2432 |