52番札所「太山寺」は、納経所を見つけたと思っても、さらに民家がある舗装路を進み、なかなか「本堂」が見当たりません。
ようやくたどり着いた「本堂」は、「一夜建立伝説」が残る「国宝」に指定されていてる壮大なスケールでした。

プロゴルファー「松山英樹」が練習した打ちっぱなし場を横目に「太山寺」へ

松山市中心街から「三津浜」経由のルートを選択した私は、「三津浜」の名物ソウルフード「三津浜焼き」を食べてから、52番札所「太山寺」を目指しました。
※「三津浜焼き」に関しては、以下リンクの記事もぜひご覧ください。

港町のソウルフード「三津浜焼き」は焼きそばのクレープ包み?【日の出(伊予鉄「三津駅」近く)】

「三津浜」の港町を北上していくと、「太山寺」はもう目の前でお寺まで約2km地点では以下写真のような案内看板が設置されていました。

地図内の「みかん山」というのが、柑橘類の生産がさかんな愛媛県な感じが出ています。

地図内の「みかん山」というのが、柑橘類の生産がさかんな愛媛県な感じが出ています。

県道183号を少し進むと、いきなりプロゴルファー「松山英樹」の大きなパネルに遭遇です。

いまや海外メジャー大会でも優勝候補にあがるほどの日本トッププロゴルファーの「松山英樹」さんに遍路道で遭遇です。

いまや海外メジャー大会でも優勝候補にあがるほどの日本トッププロゴルファーの「松山英樹」さんに遍路道で遭遇です。

「松山英樹」は名字が「松山」で出身地も「松山」だそうで、この打ちっぱなし場で幼少期に練習をしていたんだそうです。
元々は違う名前の練習場だったのですが、松山さんの活躍もあって、2013年に「HIDEKI GOLF GARDEN」としてリニューアルオープンしたとのこと。
しかも、中学・高校は遍路で通過してきた高知県の「明徳義塾」のゴルフ部で腕を磨いたそうで、四国から世界に羽ばたいていることを遍路道中に知ることができたことに勝手に感慨深くなってしまいました。
※「明徳義塾」は36番札所「青龍寺」近くで、大相撲の元横綱「朝青龍」とも関係が深いです。以下リンクの記事もぜひご覧ください。

元横綱「朝青龍」も登って鍛えた石段が壁の如くそびえる、空海独鈷杵有縁のお寺【36番札所「青龍寺(しょうりゅうじ)」】

「HIDEKI GOLF GARDEN」から県道183号をさらに直進すると、1kmほどで「太山寺」の「一の門」に到着です。

「一の門」は冠木門に切妻屋根を架けた簡素な門で、バス停にもなっていて、民家が並ぶ舗装路が伸びていて、お寺はまだ先のようです。

「一の門」は冠木門に切妻屋根を架けた簡素な門で、バス停にもなっていて、民家が並ぶ舗装路が伸びていて、お寺はまだ先のようです。

「一の門」をくぐって、けっこう先の方に小さく見えていたのが「仁王門」で、ここもバス停になっていて、参道や門前を車がどんどん通るようです。

「仁王門」は入母屋造八脚門の立派なもので、1305年再建の歴史があり、国指定の重要文化財です。

「仁王門」は入母屋造八脚門の立派なもので、1305年再建の歴史があり、国指定の重要文化財です。

「仁王門」をくぐると、駐車場や納経所が見え、52番札所「太山寺」境内に到着です。

 

「納経所」があるのにお参りする「本堂」が見えず

「仁王門」の先には、以下看板があり、駐車場と納経所があるのですが、お参りする肝心の「本堂」が見えません。

「納経所」から「本堂」の距離が250m?しかも「上」ということは登り?「納経所」と「本堂」の距離は、札所の中では最長だと思います。

「納経所」から「本堂」の距離が250m?しかも「上」ということは登り?「納経所」と「本堂」の距離は、札所の中では最長だと思います。

「納経所」の前を通過して、ゆるやかな登り坂を歩き出すと、参道には「仁王門」をくぐったあとの境内のはずなのですが民家が数軒並んでいて、他のお寺では経験したことがない様子が珍しかったです。

「仁王門」の先に民家や舗装路があるのはかなり斬新です。それだけ大きな敷地のお寺ともいえます。

「仁王門」の先に民家や舗装路があるのはかなり斬新です。それだけ大きな敷地のお寺ともいえます。

案内看板通り200m以上の参道を歩き、「山門」が出迎えてくれた先には、巨大な「本堂」が鎮座していました。

 

「一夜建立伝説」の国宝「本堂」

「太山寺」の現在の「本堂」は鎌倉時代の1305年に再建されたもので、桁行7間 (16.38m)・梁間9間 (20.91m)もある巨大サイズ、愛媛県下の木造建築物では最大、真言密教の「本堂」としても最大級で、「国宝」に指定されています。

入母屋造本瓦葺、和様式・唐様式・天竺様式の折衷様で、屋根の広がりに包み込まれるようでもあり、圧倒もされる「本堂」です。これだけ巨大な「本堂」はここまでの札所でも見ることはありませんでした。

入母屋造本瓦葺、和様式・唐様式・天竺様式の折衷様で、屋根の広がりに包み込まれるようでもあり、圧倒もされる「本堂」です。これだけ巨大な「本堂」はここまでの札所でも見ることはありませんでした。

鎌倉時代にこれだけ立派なお堂を建立できたのはお寺の隆盛あってこそだと思いますが、「太山寺」の「本堂」は開創時の伝説からその後の歴史をたどることもできます。

「太山寺」の縁起によると、飛鳥時代の用明2年(586年)にさかのぼり、豊後国臼杵の「真野長者(まののちょうじゃ)」という者が難波に船で向かう途中、高浜(現在の太山寺近くの海岸地域)の沖で大嵐に遭遇し、長者が信仰する観音に念じると山頂から光が差し嵐が静まり無事着岸できたそうです。
その光の差した頂上に行ってみると一寸八分の十一面観音をまつった小さな草堂(現在の「奥の院」)があり、長者は感謝し堂宇を建立することを思い立ち、さっそく豊後に引き返し工匠を集め木組みを整え、1日で高浜の港に着き夜を徹して、一夜にしてお堂を建立したという伝説が残っています。
「長者」の言葉が表すように、「真野長者」はたいへんな富を築き多くの貢ぎものを皇族に献上したことで、欽明天皇より「長者」の号を賜っていて、「太山寺」の寺勢拡大にも好影響を与えたと思われます。
このあと、聖武天皇の勅願により行基によって本尊の十一面観音が安置され、孝謙天皇の庇護のもと隆盛を極め、鎌倉時代には伊予国守護河野氏、近世には松山城主加藤氏の支援により繁栄を続けたそうです。

「本堂」左隣には「真野長者」をまつる「長者堂」もあり、「本堂」まわりの広大な境内にはほかにも見どころがたくさんありますので、ゆっくり散策されるとよいと思います。

 

52番札所「太山寺」は、「一の門」をくぐってから「本堂」まで長い道のりは少々骨が折れますが、民家の立ち並ぶ珍しい参道・境内を楽しんで、クライマックスの国宝「本堂」の巨大な姿を拝むまでに気持ちを高めてみてください。

 

【52番札所】  龍雲山 護持院 太山寺(りゅううんざん ごじいん たいさんじ)
宗派: 真言宗智山派
本尊: 十一面観世音菩薩
真言: おん まか きゃろにきゃ そわか
開基: 真野長者
住所: 愛媛県松山市太山寺町1730
電話: 089-978-0329

 

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ごんのすけ

お遍路さん初心者です。  2015年1月20日(火)に1番札所を出発し、2015年3月1日(日)に41日間で88番札所で通し歩き結願を果たすことができました。 2015年4月12・13日の2日間で、開創1200年で盛り上がる高野山にお礼参りにも行ってきました。 自身の通し歩き遍路体験を元にお役立ち情報を発信しています。