「いにしえは左へゆきし、今は右へゆく」と四国邊路道指南"にて真念法師が推薦した遍路道が現在の高知県三原村にあります。「地蔵峠」をこえるその道は、近年は通る人が少なくなり荒廃し、復元されたりしています。
分岐を示す真念遍路石に関しては、以下リンクの記事でご紹介しています。
【38番札所金剛福寺→39番札所延光寺(三原村経由)】標石の元祖「真念遍路石」
—– こちらの記事に登場する主な地名・単語
四国邊路道指南 (しこくへんろみちしるべ)
三原村 (みはらむら)
上長谷 (かみながたに)
地蔵峠 (じぞうとうげ)
四万十市 (しまんとし)
江ノ村 (えのむら)
西の谷 (にしのたに)
第39番延光寺 (だい39ばんえんこうじ)
—– こちらの記事に登場する人物
有辨真念 (ゆうべんしんねん / ?~1692?)… 土佐出身、大坂在住とされる江戸時代初期の高野聖。四国遍路史上初のガイドブックを発刊、庶民への遍路の普及に努めた。
峠のお地蔵さま
真念遍路石が立つ三原村上長谷から分岐、幅員の狭い車道を歩いて北へ向かうこと約1時間。
お地蔵さまが祀られる "地蔵峠" に到着です。
三原村 / 四万十市
の北側の境界であり、徒歩のみこちらの未舗装路を通じて麓に進むことができる(車両等はこの場所から県道344号経由で別の地点に下りることが可能)。
< 峠 >地蔵峠… 240m
< 麓 >西の谷… 20m
延長2.5kmで高低差200m以上。なかなかの急勾配です。
その道のりは険しく、狭路や崩落個所がいくつかあるので注意。
真念が道を開いて以来、お遍路さんの往来だけでなく、村人たちも盛んに往来した。この道を下りたところに中筋川があり、そこから川船で街(中村城下)へ出ていた。
三原村の方によると 「昭和30年頃はこの道を通って中村に出ていた」 と。
遍路・村民には欠かせない道だったが、自家用車の普及や三原村村内を経由するルートが整備されたことにより、次第にこの道を通る者はいなくなった。食糧補給や宿泊手配を自身で行わなければならない個人の遍路にとっては、止むを得ない事情と言える(村内を経由しても豊富に施設があるわけではありませんが…)。
すっかり廃れてしまった真念遍路道が一部ルート変更する等して復元されたのは 平成15年(2003)。
"道" として復活したものの依然として通る人は少なく歴史が浅いことから、地盤が緩く崩落している箇所が多数存在する。道がまだまだ踏み固められていないということです。
道は人が通ることで道と成る。
私の持論です。お遍路さんが多く通ることから、そこが道となり、沿道が街となり、お遍路さんが通る道 = 遍路道となった。すべて同様の事情です。
【「地蔵峠」 地図】
麓の集落へ下山
山間の無住の庵。ここまで来ると下山までもう少し。
右… 江ノ村
左… 西の谷
大師堂のすぐ下に分岐あり。どちらに下りても39番札所延光寺へ行くことができますが、「左… 西の谷」 へ向かう方が近道。
下山、西の谷に下りてきました。
ここから進路を西に変え、延光寺を目指します。
そこに至るまでのルートはいくつかありますが、
バイパスの側道
国道56号経由
どちらも平田を経由して 延光寺に到達、距離はそれほど変わりません。
お手洗いやコンビニ等の商店があるのは後者のルートとなります。
【「江ノ村大師堂」 地図】