高知県幡多郡三原村の静かな田園地帯に並んで立つ標石。遍路道の分岐点であり、状況に応じて遍路道を選択できる内容が示されているこの標石は、江戸時代に四国遍路の普及に努めた「真念」が建立したとされています。
—– こちらの記事に登場する主な地名・単語
真念庵(しんねんあん)
足摺山(あしずりさん)
—– こちらの記事に登場する人物
有辨真念(ゆうべんしんねん / ?~1692?)… 土佐出身、大坂在住とされる江戸時代初期の高野聖。四国遍路史上初のガイドブックを発刊、庶民への遍路の普及に努めた。
「真念石」と呼ばれる標石
39番札所延光寺へ向かうルートは複数あり、最短ルートを選択すると真念庵まで打ち戻り、そこから三原村を経由して延光寺に至ります。
※「真念庵」に関しては、以下リンクの記事もぜひご覧ください。
その三原村の中にも分岐がいくつかあり、ここはそのことが記された地点。
へんろ道
右 寺山寺
左 足摺山
施主 愛媛縣温泉郡●●
寺山… 39番延光寺の通称。近年でもそのように呼ばれていたことがわかります。
足摺山… 38番金剛福寺の通称
施主は愛媛県の方のようですが、同県の発足が明治6年(1873)なので、古いように見えて実はそれほど古く無いのかもしれません。温泉郡は現在の松山市周辺。平成17年(2005)、中島町の松山市編入により消滅。
その横にある小さな標石。四国邊路道指南を発刊した真念によって建てられたもので 「真念石」 と呼ばれるもの。
真念はガイドブック(地図)の発刊、善根宿を建てて遍路の救済(=真念庵など)の他に、道しるべを四国各地に建立している。何分にも古いものなので、自然に還ったものや道路整備等で多くが失われ、現在確認されているものは 20基程度。
真念が示す遍路道の選択肢
右遍路みち
左大ミつのとき八このみちよし
順路は右ですが、大雨・増水した時は左へ行くと良いですよ、という案内が真念石に刻まれている。
"四国邊路道指南" の中に
「いにしえは左へゆきし、今は右へゆく」
の一文がある。現在は 「いにしえは左(直進)」の方向へ進む遍路が圧倒的に多い。
一人歩きでは食糧の補給を自身で行わないといけないことやトイレの問題等があり、ここに限らず古道を辿ることは難しいためである。
道がそれしか存在しないか、大幅に遠回りになるのであれば話は別だが、この場所に関しては真っ直ぐ進むとやがて三原村の中心を通ることになるので、様々な点で利便性が高い。
そのような事情があり、真念が推した 「今は右へゆく」 の遍路道は歩く人間が減り、明治以降急速に廃れた。
右に進んだ先の遍路道の様子は、以下リンクの記事につづきます。
【38番札所金剛福寺→39番札所延光寺(地蔵峠越え)】真念ゆかりの遍路道
【「真念石(三原村)」 地図】