高知県中土佐町から四万十町床鍋を目指す峠越えの遍路道が「そえみみず遍路道」です。入口から坂を上がり、一旦高速道路をくぐって登ったところから、古道としての真髄が始まります。

高速道路を通過して 再び遍路道に入るところ

—– こちらの記事に登場する主な地名・単語
標石(しるべいし)
添蚯蚓(そえみみず)
往還(おうかん)
久礼(くれ)
岩本寺(いわもとじ)
五社(ごしゃ)
仁井田(にいだ)
高岡神社(たかおかじんじゃ)
四万十川・四万渡川・渡川(しまんとがわ・わたりがわ)
足摺(あしずり)
金剛福寺(こんごうふくじ)
延光寺(えんこうじ)
松尾峠(まつおとうげ)
豫土国境(よどくにざかい)

 

そえみみず遍路道で見られる標石

五社までの距離ほか、幡多地域の主な場所までの距離

そえみみず遍路道の歴史や入口の様子に関しては、以下リンクの記事もぜひご覧ください。

旧往還そえみみず遍路道[前編]【36番札所「青龍寺」→37番札所「岩本寺」】

 

高速道路部分に別れを告げて、再び入山してすぐの場所。写真がぶれてしまいました。
撮ったのは日中なのですが、木々が生い茂って昼間でも薄暗い場所。気にしていないと見落としてしまいますが、大変興味深い史跡が残されているので、見逃さないようにお気を付けください。

これ(?)より
五社へ四里
四万十川へ十(?)
あしずりへ二十(?)
てら山へ三十八リ
いよ境まで四十一リ

行く先の情報、すなわち幡多郡内の主な地点までの距離が記されています。

五社…
五社大明神・仁井田五社など、現高岡神社。旧第37番札所。
※37番札所の変遷については 少し複雑なので、また機会を改めて考察したいと思います。

四万十川…
“日本最後の清流” として名高い名川だが、「しまんと」の名前が正式名称になったのは意外と新しく、平成6年(1994)のこと。一級河川における河川の名称変更は初の例。
それまでの名称は “渡川” と書いて「わたりがわ」で、現在も渡川水系としてその名が残る。

四万渡川・四万十川(わたりがわ / 古代) → 渡川(わたりがわ ・ 昭和3年/1928) → 四万十川(しまんとがわ ・ 平成6年 / 1994)

昔はどこの川もきれいだったわけで、殊更四万十川だけを清流と取り上げることは無かったことでしょう。清流シマントの呼称は、近年の日本全体の環境変化によって生まれた名称とも言えます。

あしずり…
足摺。
第38番金剛福寺があります。
あしずりの二十?里から五社の四里を引いた数字が、37番から38番の札所間距離。約90kmは四国遍路道中最長距離です。

てら山…
第39番延光寺の俗称。
距離はこの場所から延光寺までを表すもの。
38番→39番は打戻等 ルートが複数あるので、てら山からあしずりの距離を引いたものが札所間距離…とはなりません。

いよ境…
豫土国境・松尾峠

 

標石が伝える情報

全体的な情報としてお遍路さんに向けたものが多いように思います。
添蚯蚓はお遍路さんが通る遍路道だが、それ以前に土佐國が交通の要として重要視した往還道。久礼坂を上がる新道が開通した以後は多くの人々はそちらを利用するようになったが、昔ながらの参詣道(遍路道)をたどりたいお遍路さんはそえみみずを選択して歩いた。

そえみみずはお遍路さんが歩く道

と認識されるようになり、ここで提供される情報がお遍路さん寄りのものとなった。ゆえにこちらの標石は久礼坂新道開通後のものと仮定すると、そんなに古くない?

とは、私の勝手な推察。
学識者さんによってちゃんと時代考証が行われたものがあるはずです。

往時の事をあれこれ想像しながら旅を楽しむことも、歩き遍路の魅力の一つであるように思います。

 

そえみみず遍路道の様子は、以下リンクの記事に続きます。

旧往還そえみみず遍路道[後編]【36番札所「青龍寺」→37番札所「岩本寺」】

 

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野瀬 照山

八十八ヶ所案内人・先達であり、旅人をお迎えするゲストハウスそらうみを運営。 四国八十八ヶ所結願30回、うち歩き遍路12回。 四国六番安楽寺出家得度。四国八十八ヶ所霊場会公認先達。 高松市一宮町で「さぬき高松ゲストハウスそらうみ(http://www.sanuki-soraumi.jp/)」を運営。