70番札所本山寺には、国宝に指定されている本堂や、重要文化財に指定されている仁王門など、歴史遺産を数多く有しています。お寺のシンボルである五重塔では、未来につなぐ様々な取り組みが行われています。
70番札所本山寺の歴史
70番札所本山寺は、大同2年(807年)に平城天皇の勅願により弘法大師空海により創建され、一夜ほどの短い期間で建立したという伝説があります。建立されてからしばらくは、長福寺という寺号でしたが、江戸時代の19世紀頃に本山寺と称されるようになりました。
本尊は四国八十八ヶ所霊場中唯一となる馬頭観音で、弘法大師空海が刻んだと伝わります。
およそ2万平方メートルの広大な境内には、本堂をはじめ、仁王門や五重塔、十三堂、鎮守堂、茶室、本堂の裏に続く客殿などがあり、大寺として栄華を極めた当時を様子がうかがえます。
国宝の本堂と重要文化財の仁王門
現在の本堂は1300年に建て替えられたものだそうで、国宝に指定されています。
1854年に起きた火災により、古文書などは紛失してしまいましたが、本堂の棟札や礎石の墨書から見ても鎌倉時代末期に建立されたものであることがわかっています。特に本瓦葺きの屋根が描く美しいなだらかなラインはお寺の見所のひとつなっています。
また、本山寺の仁王門も重要文化財として指定されています。
本柱4本の前後に、控柱と呼ばれる8本の柱がある作りになっているため、八脚門とも呼ばれています。鎌倉時代の建築で、組物、肘木、虹梁、冠木という和様を主体に、禅宗様や天竺様式を組み合わせた新しい様式なのだそうです。
本山寺のシンボル「五重塔」の大修理
本山寺の見所はなんといっても、境内にある五重塔です。
五重塔は天暦3年(950年)に建立されましたが、その後の損傷が激しく明治43年(1910年)に再建されました。お寺周辺の道からもその姿を見ることができ、お寺を目指す人の道標にもなっています。
普段は中に入ることができない塔ですが、春のGWの時期と、秋の10月の三連休だけ、塔の二層目までを特別に見学することができます。説明を聞きながら見学ができるので、この貴重な期間に参拝と五重塔の見学をされることをおすすめします。
参拝する人や地域の人をずっと見守り続けてきた五重塔は、その価値と想いを次の百年に繋ぐために平成の大修理が行われました。
明治43年に再建されて以来、100年余りもの年月が流れ、老朽化が進み、倒壊の危険もありました。それを受け、平成27年(2015年)から「平成の大修理」として約3年の年月をかけて解体修復保存工事を行ってきました。多くの人の想いに支えられ、建物は無事に完成を迎えることができました。ただし、五重塔本尊五佛の修復が未だ完成しておらず、作業が続いているそうです。
本山寺五重塔モニタリングプロジェクト
この大修理の他にも、五重塔を未来につなぐための取り組みが行われていることをご存知でしょうか?
本山寺と東京大学が共同で、五重塔の揺れを24時間観測する研究が行われています。本山寺だけでなく、75番札所善通寺の五重塔も対象となっており、平成24年(2012年)からそれぞれの五重塔の強振・強風における振動状況を測定しています。
この測定の結果、善通寺の五重塔は一定の余裕を持った耐震性能が確認されましたが、本山寺は確認することができませんでした。そのため、令和元年(2019年)に耐震補強が施されることになりました。
現在も、各層及び主要なポイントにセンサーが設置され、常に揺れを記録しています。
本山寺ならではの経石奉納
五重塔に関連してもうひとつ本山寺ならではで、経石奉納があります。
経石は、中世紀末から近世にかけて死者の冥福などを願って経文の1文字を石に書いたもので、地中に埋められるものです。全国の塚や古墳から出土していますが、本山寺の五重塔の一層目の天井裏になんと約6万個もの経石が納められていたそうです。これらの経石が五重塔の中心となる柱を支えている重要な役割を果たしています。経石が堂内に納められている例は他にはなく、日本全国で現状唯一のものとされています。
本山寺に行くと、先人たちの、そして今を生きる人たちの想いを至る所で感じることができます。積み上げてきたこれまでの歴史と、これからの未来へと想いを馳せながら参拝してみてください。
【70番札所】 | 七宝山 持宝院 本山寺(しっぽうざん じほういん もとやまじ) |
宗派: | 高野山真言宗 |
本尊: | 馬頭観世音菩薩 |
真言: | おん あみりとう どはんば うん ぱった そわかおん あろりきゃ そわか |
開基: | 弘法大師 |
住所: | 香川県三豊市豊中町本山甲1445 |
電話: | 0875-62-2007 |