大月小学校で開催されたおへんろ授業に参加して、先達さんや有志の方々の「大月へんろ道」保存にかける思いや努力を目の当たりにしました。昔ながらの遍路道を守るために多くの人手が求められています。
高知県大月町の大月小学校で行われたおへんろ授業。校外授業では、子ども達が作った「道しるべ札」を大月へんろ道に設置するのですが、子ども達が安全に歩けるよう、授業の前に先達さんと地元の方々とで下草狩りを行なっていました。
※おへんろ授業の様子は、以下リンクの記事をぜひご覧ください。
【大月小学校おへんろ授業1】大月町の月山神社で御神体と神仏習合の歴史にふれる
【大月小学校おへんろ授業2】大月へんろ道で小学生と道しるべ札を設置
【大月小学校おへんろ授業3】ダイナミックな大月へんろ道の最後はゴロゴロ石の海岸
38番札所金剛福寺と39番札所延光寺の間にある大月へんろ道は、地元の有志と先達さんたちが2004年に復元した遍路道です。人の手が入らなければ藪に埋もれてしまう大月へんろ道を守るために、地元の人たちで結成された「大月へんろ道保存会」と先達さんが協力して保全活動を続けておられます。
また、今回おへんろ授業に誘ってくださった山下正樹先達のインタビュー記事に、大月へんろ道復元の話が載っていましたので、こちらも紹介いたします。
わたしのお遍路道 http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-661.htm
へんろ授業中も道の修復に目を配る先達さん
「道しるべ札」設置のために、子ども達と引率の先生、先達さんなど大勢で大月へんろ道を歩いていくのですが、その途中で道の不備が見つかると、すぐさま先達さんや保存会のメンバーが修復していきます。
先達さんと保存会のメンバーは、道しるべ補正のための油性ペンや、外れてしまった道しるべ札を修正するための針金とペンチ、藪の草木を刈るための刃物など、あらゆる事態のための道具を携えておられました。道の補修には何が必要か、すでに頭に入っているのでしょう。その対応の素早さに、先達さん達が積み重ねてきた保存活動の歴史を垣間見ることができました。
個人の厚意で設置された剪定ばさみで下草刈り
大月へんろ道で、下草の生えやすい場所には草刈り用の剪定ばさみが置かれており、通った人に草刈りお接待を促しています。この剪定ばさみは大月へんろ道だけではなく、他の遍路道の未舗装路にも置かれているそうです。遍路道の要所要所に剪定ばさみを設置する活動も有志で行われており、多くの人の厚意が遍路道を支えていることに気付かされます。
この日も大月へんろ道を歩きながら、剪定ばさみで下草を刈っていきました。おへんろ授業の準備であらかじめ道は綺麗に整備されていましたが、それでも危ない枝や下草などが出てきていたので、できる限りのことはしていきます。
日常で使われなくなった大月へんろ道の保存
大月へんろ道周辺は、昔は薪炭林(しんたんりん)として人の手が入っていた場所で、薪炭林に特徴的な「株立ち(かぶだち)」状態の木が多く見られます。
薪炭林:薪や炭焼きのための木材を伐採していた林
株立ち:伐採された木の根元から新しい幹が育った樹木の形状。木を枯らさずに木材を採取する工夫の跡。
ここからは個人的な考察ですが、かつて薪や炭が燃料として使われていた時代には、お遍路さん以外にも地元の人が日常的に山に入ることが多く、遍路道も自然と保たれていたのだと思われます。
現在では薪などの燃料の需要が少なくなり、日常的に人が山に入る機会は失われました。そのため大月へんろ道を守るためには意識的な整備が必要で、多くの人手が必要になります。今は地元の保存会が活動していますが、かつて生活の延長で行われていたような手入れを保つのは難しいことでしょう。大月へんろ道は里山の名残が残る素晴らしい道でそれを楽しむのも一興ですが、道を使う人がそれぞれできる範囲でへんろ道保存のための行動をする必要があると感じました。
縁があって参加させていただいた大月小学校のおへんろ授業。地元の方々と先達さんの活動から、遍路道保存のたいへんさと情熱の両方を感じました。他の未舗装遍路道にもいえることですが、ちょっとしたお手伝いの積み重ねが遍路道を守ることにつながるので、無理のない範囲で協力していきたいものです。