別格20番札所「大瀧寺」は、標高946mの「大滝山」の頂上付近にあり、古くから山岳信仰の聖地とされてきました。
別格20霊場の結願所であり、四国八十八ヶ所総奥之院ともされ、四国遍路の締めくくりとしてふさわしい山岳霊場です。

古くからの山岳信仰の聖地

別格20番札所「大瀧寺(おおたきじ)」は、香川県と徳島県の県境の「大滝山(おおたきやま)」(標高946m)の山頂付近にあります。
さかのぼれば神話時代から、近畿方面や瀬戸内海を監視したり、國を渡る交通の要衝であったりと、重要な地域であり、神が滞在された聖地でもあったとのこと。
その歴史は、以下リンクの「西照神社」の記事でご紹介していますので、ぜひご覧ください。

神話時代からの伝説が残る霊峰にたたずむ航海の神【西照神社[別格20番「大瀧寺」隣接]】

僕はこの大滝山に、88番札所「大窪寺」方面からの最短距離ルートである「夏子(なつご)ダム」経由で歩き遍路道を登りました。
※歩き遍路道の様子は以下リンクの記事もぜひご覧ください。

夏子ダムからのショートカット遍路道は通行不可【夏子ダム→別格20番「大瀧寺」[前半]】

別格霊場最高峰への道のりは分岐点に注意【夏子ダム→別格20番「大瀧寺」[後半]】

大瀧寺の境内前の南側には四国最大の川「吉野川」流域の様子を見下ろす絶景です。

大瀧寺の境内前の南側には四国最大の川「吉野川」流域の様子を見下ろす絶景です。

 

行基開創、空海修行の山岳霊場

大瀧寺の縁起によると、奈良時代の神亀3年(726年)に行基が讃岐國塩江(しおのえ)方面から大滝山上に登り、阿弥陀三尊を安置したことが始まりとされています。
その後、平安時代には空海が青年修行期に大滝山にこもり求聞持法を修めたともいわれ、弘仁6年(815年)に空海が再びこの地を訪れた際には厄流しの秘法を修められ、西照大権現をまつり、荒廃していた寺を再興したとされています。

江戸時代には、讃岐國と阿波國の國境にあることから、高松藩(徳川家)と徳島藩(家老稲田家)の両藩から崇敬を集めたそうで、重要な寺院であったことがうかがえます。

明治時代に行われて神仏分離までは、現在の西照神社と神仏習合であった歴史も持ちます。

境内は山腹の開かれた場所にあり、日当たりと眺めがよく、本堂は美しい花に彩られ、山深くというよりは華やかな印象を受けるお寺でした。

境内は山腹の開かれた場所にあり、日当たりと眺めがよく、本堂は美しい花に彩られ、山深くというよりは華やかな印象を受けるお寺でした。

石彫りの縁起はその歴史を物語る重厚な造り。

石彫りの縁起はその歴史を物語る重厚な造り。

 

四国八十八ヶ所総奥之院

大瀧寺は別格20霊場の20番札所すなわち結願所であり、四国八十八ヶ所霊場においても総奥之院と位置付けられ、いろいろな意味で四国遍路の総しめくくりのお寺です。

最後の最後で険しい山登りが待ち構えていて、しかも八十八ヶ所巡りでは大窪寺で結願をむかえ達成感に満ちた状況でのさらにの山登りは精神的には苦行に感じられる部分もあると思いますが、行基さんや空海さんも聖なる山に登ったことや、昔の人が苦労して國境を渡ったり山の上から海上安全を祈った歴史を感じながらお寺を訪れると、また違った感慨をえられると思います。

【別格20番札所】  福大山 大瀧寺(ふくだいさん おおたきじ)
宗派: 真言宗御室派
本尊: 西照大権現
真言: なむ にしてる だいごんげん
開基: 行基菩薩
住所: 徳島県美馬市脇町西大谷674番地
電話: 0883-53-7910

 

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佐藤 崇裕

四国遍路情報サイト「四国遍路」を運営する株式会社四国遍路(http://shikokuhenro.co.jp/)の代表取締役。四国遍路の文化をより良い形で引き継いでいくために、四国遍路に新しい付加価値を生み出すべく日々奮闘中。